面谷鉱山見学 その4

どんどん進んで面谷集落跡地です。
集落跡地になにが残っているのかというと、墓地でした。


寒々しい景色の中に墓石が並んでいます。


お地蔵さんです。雪除けの天井付きでしたたがどうしてももろくなる細い部分、
首が取れて前にコロンと転がっていました。


でも全てがうち捨てられた墓石ではありません。
中には手入れされている墓所もあり、新しく建てられた墓石もありました。

道の西側には三つ目の大きな石碑がありました。
そこには大正七年の十月末にインフルエンザがこの地が流行ったために
鉱山町始まって以来の多くの死者が出た事が克明に書いてあります。

誰に見せる為にこんな場所に建てた石碑なのか。
それは後で役場に行って明らかになりました。
この道は平家の落人伝説の残る平家岳という山への登山コースに
なっていたのです。

和泉村の役場でこの遺構はハイキング地図に掲載されています。
役場に行った折りに、観光客向けに用意されている地図を一枚頂いたので
位置の説明に使わせていただきます。


和泉村役場作成・平家岳ハイキングコース地図より)


墓石の間に『カラミ煉瓦』で作られた、四角い掘り下げられた場所がありました。
「火葬の残骨を捨てた場所   南無阿弥陀仏」
横にはもうひとつ同じような石碑があり、「火葬場跡」と書いてありました。

これらの黒御影石の石碑はこの地に縁の個人が建てたもののようです。
文章が所々、私的な表現になっている訳はそれでした。


墓地を離れて遺構へ戻ります。
面谷川は宝石のように綺麗な水でした。
その横には80年以上経っても生々しい焼け焦げた土と、
鉱滓がからみついて残る黒々とした石垣がありました。