撤去の後で 4
道路の土手を登ってシックナーに近づきます。
シックナーは残される事になっています。
どんな風に活用されるのか。
シックナーの下には大きな空間があります。
ベンチを置いて休めるようにするのか
資料展示の空間にするのか
産業遺構を観光資源として文化財として残そうとしている『鉱石の道プロジェクト』。
それは順調に進んでいるのかが心配でした。
2005年4月1日に神子畑選鉱場のある朝来町は生野町、山東町、和田山町と合併して朝来市になりました。
鉱石の道プロジェクトは朝来町と生野町と大屋町で進められていたプロジェクトです。
鉱石の道の基点ともいえる明延鉱山のある大屋町は入っていません。
一年前、2004年4月1日に八鹿町、養父町、大屋町、関宮町が合併し養父市ができました。
大屋町は朝来市ではないためにこのプロジェクトが進みにくい事態が起きはしないかとずっと気になっていました。
フェンスの隙間から中を覗きます。
昨年の台風でかなり痛みが激しくなっています。
陰になっている所に見た事のある物がおいてあるのに気づきました。
これはボールミル?
シックナーとは無関係の機械です。
更に影に目を凝らすと立てかけてある机型の物。
ウィルフレーテーブルとジェームズテーブルです。
比重選鉱機です。
よかった
たとえ一台ずつでも残されていた
国内の錫の95%を生産していた神子畑選鉱場。
それを代表する産業遺物があるとしたらこの比重選鉱機以外には考えられないとずっと思っていました。
76台のウィルフレーテーブル
44台のジェームズテーブル
高い天井の下に在った錫を生み出す選鉱場の最終工程フロア
その空間は無くなりました。
しかしそこにあったものが一つずつでも残されました。
鉱石の道・プロジェクトは市町村合併の影響で遅れが出てくる事が考えられます。
このシックナーを囲うフェンスが取り払われるのはいつになるのでしょう。