石見銀山 訪問 その2

清水谷精錬所跡の説明板。


かなり詳しいです。
写真に地図つき。

世界遺産登録されたらこの横に英語版が登場するんですね。


稼動時の清水谷精錬所。
石見銀山のこのエリアを明治期に開拓したのは同和鉱業です。
当事は藤田組といわれていました。
同和鉱業の鉱山といえば秋田県の小坂鉱山がいちばん有名です。
岡山県の柵原鉱山も同和鉱業が開発していました。


精錬所と鉱山城下町。
明治期のこういう写真は大好きです。

明治27年に完成した清水谷精錬所。
わずか1年半あまりで閉鎖されてしまったというはかない運命の精錬所でもありました。


この地図には載っていませんが柑子谷地区というところには永久稼所という
江戸期から開発された鉱区があり明治期にも働いていたようです。
この清水谷精錬所がわずか1年半で稼動を停止した後も永久の方は稼動していたようです。

そこを見たいと思ったのですが雨脚はどんどん強くなり
視界不良になる一方。

どうも山歩きに適した天気ではありません。
強行突破したら旧別子の二の舞になります。
素直に諦めました。
 


こんな立派な施設が今は草茫々の段々に。


この選鉱場も遺跡状態になっているはずです。
トロッコ道しかアプローチできないのか
整備がまだ不十分なのか
選鉱場を示す標識は現地に出ていません。

選鉱場も見たいです。
いや、選鉱場のほうをむしろじっくり見たいです。