生野鉱山 町並み 見学 その4

三菱マテリアル生野事業所の周辺はたくさんのカラミ石を見る事ができます。


背の低い塀ですが四角のカラミ煉瓦と
最上段には五角柱のカラミ煉瓦が使われています。


カラミ煉瓦には色々な成分が混ざっているので一つ一つ表情が違います。
こんな風にきらきらしているものもあります。


これは苦手な人には耐えられないかもしれないですね(笑)。
煮えたぎっていた金属の滓が固められた事をよく現しています。


よいお天気の日に見るともっときらきらしています。


カラミ石の擁壁や塀は車道の横にあります。
路側帯はありますが歩道は無いので
生野事業所周辺で見る時には車の往来に注意が必要です。


生野の町中で見る事ができるこの説明板。

生野から姫路までをつないでいた馬車道は
1875年(明治6年)から1878年(明治9年)までの工事で作られた
銀を運搬する為に整備された道です。

全長は45kmあまりで道路幅は6m以上という立派な道路で
設計にはフランス人技師が関わり当時の最新技術で作られました。

閉山の後、生野町で展開された産業遺構の保存の取り組みで
まず注目されたのがこの銀の馬車道でした。

生野と姫路をつなぐ銀の馬車道プロジェクトは
明延・神子畑・生野をつなぐ鉱石の道プロジェクトより
前から進められていた話です。

その為に錫を追って鉱石の道をたどっていた自分には
生野での錫の知名度の低さに愕然としたというのも事実です。

国内一の生産量を誇っていたといえば十分なインパクトがあると思うのです
しかも国内の錫生産の95%というシェアを誇っていたといえばものすごいインパクトだと思うのです。

なのに生野ではやはり銀を主体に採掘していた官営鉱山のプライド(?)なのか
錫の知名度があまりにも低かったのです。

もっと錫に注目してもらいたいのになと感じました。