生野鉱山 町並み 見学 その3

カラミ石を見ようと町を歩きます。

閉山から長い事や町並み保存のアピールが最近になってからである事で
お住まいの方はどんどんおうちを新しく建て替えてしまっています。

以前来た時にはここでカラミ石を見たのになぁ
と、思いながらとことこ川沿いに歩いていくと三菱の精錬所の方に来てしまっていました。


三菱マテリアル生野事業所前です。


正面玄関を行き過ぎたとこから。
建物の窓をじっと見ると神子畑選鉱場と同じデザインなので
ちょっと悲しくなってしまいました。

神子畑選鉱場も同じくらい古いつくりでした。
使ってもらっていたら
働く場所として人が出入りしていたら
まだこんな風に残っていたのかと思うと寂しいです。


精錬所の前を流れる市川です。

ここは昔、鉱毒があるといわれました。
それは古い鉱山ではどこでも頭を悩ませていた事です。

生野鉱山の歴史は古く、書物での記録は残っていませんが
大同二年(807年)という説もあるほどです。
歴史に登場し、記録に残されるようになったのは
天文十一年(1542年)です。

古くから採掘されていた鉱山につきものの鉱毒被害は
生野でも現れました。
それは近代鉱山として稼動する前から捨てられ続けていた
鉱犀などから染み出す重金属による水質汚染でした。

近代鉱山として環境に配慮して稼動するようになってから
坑排水の管理、堆積ダムの管理が進められ
現在の市川にはオオサンショウウオが生息するほど
素晴らしい水質が戻ってきています。


三菱マテリアル生野事業所。
何度も言いますが現役です。

ここには近代遺産級の建物がたくさんあるのです。
旧混汞所(こんこうしょ)は煉瓦積みが美しい建物です。

見学をしたいとお願いをしましたが
個人の見学を受け付けると収拾がつかなくなり
通常業務に影響を及ぼすというダム見学と同じ
理由で断られました。

これは仕方が無い事です。

各地のダム見学でも同じお断りを受けていますから
仰る事は凄くよくわかるのです。

見学の機会があればぜひ見たい生野事業所内です。


正面玄関前から守衛の方に中に入らないよう注意を受けつつ撮影。

敷地に入ってすぐ右手にあるオリバーフィルター室。

あの屋根は神子畑選場の錫選鉱の積み出し場と同じだ
あの形は神子畑選鉱場のオリバーフィルターのあった場所と似ている

ここは残ってくれますか
ここは撤去しないで残ってくれますか

東洋一と呼ばれたあの大屋根はなくなっても
せめてここは

撮影しながら涙目になっている私を守衛さんはいぶかしげに見ていました。


この坂は昔インクラインがあったところです。
神子畑や明延に比べるととてもなだらかです。

この左手奥では国内で唯一の錫精錬が現在も行われています。

明延 神子畑 生野 大阪

錫の道が繋がっていきます。