旧脇ヶ畑村 杉 その4

茅葺き屋根はその土地の気候風土により、土地で採れる材料で作られます。
茅が多く取れるなら茅葺を作るでしょう。
葦(アシが正式ですが語が良くないのでヨシとも読みます)であったり
藁であったり、資金があれば桧のコケラを使った桧皮葺なども在りますが
基本的にその建物が使われている限り30年以上もつようです。
葺き替えをしてきちんと管理すれば当然100年以上もちます。

でも使われなくなった家屋ではあまりにも早く倒壊してしまいます。
その理由の一つは家屋の内部の熱源です。

囲炉裏があり内側から暖められている茅葺屋根は適度に乾燥し
状態を良く保つのですが今はそういう暖房がなくなりました。

「杉」の集落の中ほどには広場が出来ていました。

 

その入口に合ったのがこの看板です。
一見、観光客を迎え入れているかに見える広場にあったのは
立ち入り禁止の看板でした。

あちこちの廃村地、廃集落に行きましたがこんな看板が
出されているのは見た事がありません。

ここがその広場です。
広場の横には人がお住まいの家屋がありました。
別荘地として買い上げた方が居るのか元々お住まいの方が
建替えをされたのかまでは解りません。

広場の端にあった石碑にここがお寺の跡地だった事がかかれています。

「この地は明治44年3月29日の大火にあいその後再建された
光明寺本堂の跡地で..」
「当村も昭和40年頃から燃料革命や木材不振により過疎が進み..」

石碑が建てられた日付は平成5年10月10日でした。

火事があった後に建替えられたというなら、この地の古い建物でも
築80年くらいになるわけです。