旧脇ヶ畑村 杉 その2

「杉」の集落入口の倒壊した家屋にはここが「杉」だと示す
多賀町の地名案内のプレートが残っていました。

市町村の合併の話は今始まった事ではありません。

現在は多賀町の一部であるこの地は明治22年に
市町村制が施行されたとき脇ヶ畑村として村になりました。

しかし過疎化は進み、昭和30年に町村合併法により
町に昇格していた多賀町を中心に大滝村と脇ヶ畑村が
合併して現在の多賀町が出来ました。

脇ヶ畑村の名前は地図から消えてしまいました。
でも「杉」の地名は残っています。

トタンの重さはそれほどでもないでしょう。
ただ、この土地は豪雪地帯です。
少しずつ柱は傾いていっていると思います。

枝をきちんと払われた杉のシルエットが
ここに人が通っている事を知らせてくれます。

でも傾いた家屋はその所有者が居るゆえに
誰も手を出す事が出来ないままに崩れかけています。

夏草に侵食された倒壊家屋です。

見上げれば雨風の吹き込む屋根の残骸。
雨宿りも出来ない状況です。