SHI-O-N 2

「紀和水害」は住居とともにこの地域の主要財源であった
高野豆腐と箸(割り箸ではありません)産業をも根こそぎ
奪っていきました。

高野豆腐作りには水が欠かせません。
そして住居の近くの山から材料を得る箸作り。
木々が減った山は集中豪雨で表層崩壊を起こしました。

崩壊して生じた大量の土砂は川に流れ込み流れを堰き止めて
天然のダムを形成してしまいます。
ダムがいきなり出来た事で上流には浸水が始まります。

そして天然のダムはもろく崩れやすいものです。
更に押し寄せる水に、ダムは容易に決壊してしまいます。
堰き止められた大量の水が一気に溢れ出した時、下流の
川沿いにあった高野豆腐製造の為の家屋を次々と流して
いきました。

この集中豪雨で西吉野の全域に数え切れないほどの
崩土によるダムが形成されました。いくつかの巨大なものは
そのまま池となり、現在も残っていますが殆どは崩れ去り
人家を田畑を押し流していったのです。

この時、この土地は死んだと、村自体が消えてしまうのではないかと、
誰もが再興は不可能と思ったほどの凄まじい災害だったのです。


そんな村を救ったのは村人の努力と新しい産業でした。
この土地には黄銅鉱の鉱脈があったのです。
昭和13年よりこの土地には鉱山景気が訪れました。


鉱山景気で村は活気づきます。
今は既に無人となっているこの建物は小学校でした。
当時は村内にいくつも学校が建てられていました。


鉱山景気で最盛期には300人近くの人が働いていたそうです。

今はもう静まり返って車のとおりもまばらなこの土地ですが
当時は往来もにぎやかだった事でしょう。