旧脇ヶ畑村 保月 その4

中には夏になってもお住まいの人が戻って来られていない家もあるようです。
閉ざされた雨戸は周囲の緑の鮮やかさに余計に白く浮かびます。

ここに夏に戻ってこられる人は畑なども周辺に見当たらない事と
集落入口の看板から、林業に従事しておられるのかと思います。

集落の中には古い街灯があります。

夜になってこの街灯がぼんやりと灯っていたら
周囲には羽虫や蛾がくるくると舞い踊り、古い田舎の風景が
そのまま現れるに違いありません。

家屋の一つに地名を現すプレートがつけられていました。

「びわ湖東部中核工業団地」を、多賀大社の東に建設して企業誘致を
成功させた多賀町。同じ町名をここまで違う風景の中に見ると奇妙な
気持になります。

集落の中央辺りには忠霊塔がありました。
日露戦争、支那事変、大東亜戦争で亡くなった
この土地の方のお名前が刻まれていました。


忠霊塔の横には護岸された水路です。
沢筋を見上げると真っ直ぐ上に先ほどの砂防ダムが見えました。