東の川 その11

私も記念に『オフライン通帳』を作って頂きました。
作業中に局長さんにお話を伺います。
『東の川』がダム湖に沈む前から宮ノ平で郵便業務をされていた方なのです。

「今、宮頭神社の方を参拝しましたがダムの後に移築されたのですね。」
「そうそう、皆ダムに沈んでしまいましたからね。」
「尾鷲の方に移られた方も多いのでしょう?」
「私も尾鷲から通っております。尾鷲に縁の人も多かったしね。」
「今はここにお住まいの方は居られないんですか?」
「時々戻られる方は居ますけどね。」

定住している方はいらっしゃらないようです。

「道中、小学校を見てきました。あの小学校に通った生徒さんっていたのですか?」
「いましたよ。3人だね。」

3人......。

「立派な石碑がありましたがあのような史碑は他にもありますか?」
「大塚のあたりにひとつありますよ。」

「この奥へは進めますか。」
「ええ、道は狭いですが薬師迄いけますよ。」
「温泉があるというところですね。」
「500m掘っても湧出量が少なくて物にはならなかったですけどね。」

坂本ダムは昭和34年から36年にかけて堤体の工事が進められました。
その工事中に水害がこの地区にあったと文献で見ていたのでそれについても伺います。

「ダム建設中にこの地区に水害があったと文献で見ました。
役場でも聞いたのですが大変な規模の災害だったのですか?」
「あぁ(笑) ぜんぜんたいした事じゃないです。ダムを作っている
最中に横に仮排水の水路をつけるでしょう。そこに流木やら
土砂やらが詰まってしまってね。水をためる予定より前に水位が
上がってしまっただけです。その年の初めにはもう皆居なかったから
大丈夫でした。」

昔懐かしい造りの郵便局の窓口で手際よく作業をされる局長さん。
笑顔の素敵な元気な声でお話くださるおじい様でした。

この方が病気になったりしたら、体調を崩されたら
尾鷲から、上北山村から誰か代わりの方が来られるのでしょうか。
それが心配でした。

帰り道、気をつけてと送り出してくださった局長さんから頂いた笑顔の中に
故郷をダムに奪われたという哀しさ、悔しさは見えませんでした。
お話くださる口調にも、ただ、この土地の歴史をあるがままに見てきた方の
優しいトーンだけがありました。


郵便局の周囲に5軒の家。
そのうち一番大きなコンクリートの建物は森林組合のものでした。
他の家屋はみな雨戸を閉ざし、生活の気配はありません。
選挙の頃には投票に戻ってこられるのでしょうか。


赤い壁が「東の川簡易郵便局」です。
桜が満開の宮ノ平。
今は鳥の声とダムに流れ込む沢の水音だけの静かな場所です。


大台ケ原にこの冬積もった雪がそろそろ溶け出すことでしょう。
雨の多い土地。これからここは新緑の季節を迎えます。

宮ノ平からさらに奥地に進みます。
この先にはもう人家は殆ど無いということです。

ダム建設の後、東の川地区の人のために住宅地として提供される
土地が作られましたが希望者が居らず家屋は建てられなかったそうです。


坂本ダムのダム湖畔はこの季節、いつもこんな風に
水没範囲がくっきりと見えています。

梅雨の時期、台風の時期、水位は緑のぎりぎりまで上がります。
変動が激しく一定しない水量。洗われ続ける岸は植物が進出できない
アーマーコート状態です。

上流に向けて進みます。


昔、東の川の岸辺で育っていた木があちこちから
白骨のように幾つも顔を覗かせていました。