東の川 その12
道は特に狭まりもせず、淡々とダム湖に沿ってつけられていました。
『東の川』でダムが出来た当時、最も奥地であった「出口」集落跡までやってきました。

出口集落の東側、二つの谷が合流する地点です。
人家はここに数軒在ったらしいですが全く痕跡すら見つけられません。

林業が主産業で耕作地が少なかった『東の川』において水田も持っていた
数少ない耕作可能な土地だったということです。
それももう面影はありません。

谷には赤いトラス橋がかけられていました。
通る車は割といる様で、当日は7台の車両とすれ違いました。

橋に書かれた文字だけがここに「出口」という集落があったことの名残です。

帰り道に見つけた「大塚」集落跡地を示す石碑です。
裏には何にも書いていませんでした。
大塚は『東の川』で唯一、坂本ダムではなく池原ダムに水没した地区です。
平家の落人が住み着いたという縁の遺跡もあったということですが
調査が不十分なまま水没したと教育委員会の方が惜しがっていました。

その校舎はダム建設の後に建てられました。
この校舎を母校とする生徒は3人だけでした。
ダムに沈む集落の為に住宅地を作りました。
数世帯しかそこに残りませんでした。
この校舎を建てたとき、住宅地を整地するとき、
住み慣れた土地が水底に沈むことに同意してくれた人々に
感謝の気持ちと償いの気持ちがこめられていたことでしょう。
でもその気持ちは報われず、この地は住むべき人を失いました。
故郷を離れていった人が他所の土地でも幸せならそれで良い事です。
この地に残ることが幸せだと言い切るのはおかしいです。
ただ、村は人を失いました。その後も失い続けています。
破られた約束のように、守られなかった誓いのように
信じていた気持ちが空回りしたやるせなさがそこにあります。
春の息吹が訪れて桜が満開です。
桜がこんなに綺麗に咲いても愛でる人は他所から訪れる人ばかり。
ここにあるのは、もう、思い出だけ。
桜の花の向こうに捨てられた校舎を見ながら私は『東の川』を離れました。