別子銅山 端出場 見学 その2


敷地の端々に建物の名残があります。
これはトンネルが埋もれたものかと思います。


ここは登れなかったので手を伸ばして写真を取った場所です。
進めなかったので通路とは思いますが詳細は不明です。


ここにあった端出場駅まで鉱石を運んでいた列車が展示されていました。


敷地内で観光鉄道として今も使われているトンネルです。
敷地が広いので観光坑道まで歩いてもいけるのですが
これで行くとお子さんが喜ぶというテーマパークに付物の
鉄道です。


敷地を奥へと進みます。本当に広い場所です。
ここには様々な施設がありました。
貯鉱庫、破砕場、選鉱場、駅、病院、郵便局、集会場、車庫、修理工場...。
周辺には大規模な社宅があり、まさに鉱山の城下町、中心街でした。

周辺にあった社宅群は閉山後に取り壊されています。
この敷地からははっきりとそれだと解るものは見えません。
周辺の山を見ると緑が生い茂っています。

明治時代に繁栄していた鉱山では周辺の木々を大量に消費していました。
別子銅山では他の鉱山に先駆けて植林事業を始めています。
現在の住友林業の祖となった事業でした。