足尾 散策  6

山神社への道を行かなかったのは雨上がりで足場がよくなかったこともありますが
気持ちが精錬所のほうに向いていたからかもしれません。

とりあえず本山坑から川沿いに下って行きます。


町が設置した観光説明板とは別に栃木県が設置した観光説明板もありました。

 足尾銅山は、慶長15年(1610年)に発見され明治になるまで、幕府の御
用銅を生産し続けました。
 本当に足尾が発展したのは、明治10年(1877年)に銅山経営が古河市兵
衛になってからです。明治17年に大鉱脈が発見され、さらに近代技術を
導入した結果、相次いで鉱脈が見つかり、銅の生産量が増えると共に人
口も増え、大正5年には38,428人という当時の栃木県では、宇都宮市に
次いで2番目に多い人口の町となり、銅山社宅が次々とつくられました。
 大正になると足尾鉄道(現在の「わたらせ渓谷鉄道」)が開通し、粗銅
の運搬を鉄道で行えるようになり、足尾銅山は隆盛を誇りました。
 しかし、戦後の足尾銅山は経営の合理化、自山産銅の減少により、人
口も減り続け過疎化に拍車がかかりました。そして昭和48年2月、足尾
銅山は鉱源の枯渇、コスト高、採掘条件の悪化等を理由に、採鉱部門を
廃止し実質上の閉山となりましたが、製煉(精錬?)部門は外国からの輸入鉱石を
つかって、現在も操業を続けています。
           環境庁・栃木県

きっちりまとめられています。


さらに下っていきます。
道路の横に建物がありました。


何の建物かと扉の隙間からじーっと覗くと中にはコンデンサーや碍子が。


正面に回ってみると変電所だと判りました。


道路の上にこんな物が架かっていたりします。
もうすぐ精錬所です。


そして立ち入り禁止の精錬所。
裏手です。
人の姿が見えていましたし車の出入りもありました。
ここまでで先には進みませんでした。