吾妻鉱山 見学 その2
石碑に近づくといきなりこの場所が鉱山跡地である事がわかりました。
石碑の周辺には潅木が生い茂っている為、正面からは撮れるのですが
裏側が木で邪魔されて、とにかく撮りにくかったです。
光が反射するので文面も読みづらいですが
石碑の浦には鉱山の由来が書かれていました。
当鉱山の発見は明治四十三年晩秋の頃と言う
大正三年群馬硫黄株式会社設立され吾妻鉱山
と命名大正六年吾妻硫黄株式会社と社名変更
昭和十五年二月帝国硫黄工業株式会社の経営
となり最盛時は硫黄月産二.四八二噸に及び東
レ株式会社等に供給した公害に基づく重油脱硫
の進展に伴い昭和四十六年五月末閉山す
昭和四十六年五月帝国硫黄鉱業株式会社
帝国硫黄株式会社
建立者 従業員一同
奈良秀○書 斉木政市刻
周辺には他に石碑は見当たりません。
残っているのはこれだけなのでしょうか。
オレンジのトタン屋根の建物は倉庫のように今も使われているようでした。
これは鉱山の建物なのか解りません。
道路をそのままとことこ歩いていきます。
空が晴れてきました。