奈良うろうろ その2


浮見堂の手前に藤棚で飾られた場所がありました。
説明板には洞水門という文字がありましたので
何なのかなーと近づいたところ水琴窟でした。


柄杓で手前の砂利敷の上に水をこぼすと水の滴る音が響いて聞こえる仕組。

…のはずが、あまり音が聞こえない。
なんか別の音がする…。


と、目を挙げると先ほど見ていた鷺池の洪水吐越流部に設置されていた
ホースから盛大にポンプアップされた水が流入中。


清掃活動の一環か設備のメンテナンスか
令和4年になってからとにかく雨が少なかったので
鷺池の水位を高くして美しい水景を確保するためなのか
よくわからないけどとりあえずポンプアップされている。


現地の地図です。
左の方に御蓋山で、右の方に興福寺で高低差で言うと右方向に低くなっています。

一番高いところにある鷺池から普段は水が下の荒池に流れていく仕組。
鷺池は9820m3、荒池は17590m3の治水容量があります。

同じ奈良市内の蛙股池の57500m3
大渕池の74000m3に比べると小さいかもですが
みんなで少しずつでも貯留して頑張るのが流域治水。


鷺池でもこの通り、堤体に植栽。
しかも中低木。

確かに鷺池も荒池もスペック不明ですが
パッと見ても堤高は数mで水深も深くないし
堤体の植栽にはそんなに気を使っていないのかもしれません。

これがハイダムだったら河川管理施設等構造令によって
安全性の高い物が要求されます。
ハイダムじゃないことで逆に美しい水景をデザインできたのでしょう。


素敵な荒川園地をてくてくしながら池を二つに分けている国道に向かいます。


石碑が見つかりました。
柵の外にこんな感じで立てられていまして大変、文字が見づらい。


「明治四拾年五月一日建」

下には「築堤建設記念碑」とあります。


残念ながら裏側にある文字は見えません。
長い自撮り棒があったら見えるかもしれないけど持っていないし。


荒池の上池の洪水吐がありました。
越流堤にはスリットと取水用のスルースゲートが装備されています。


横から見下ろしたところ。
鷺池も洪水吐の越流堤は扇型でしたがこちらも扇型。
越流頂長を稼ぐ作戦。


スリットがあるから水位上昇に対してマイルドに流下量が増えます。
これがないと流下量はゼロからいきなりたくさんになるので
じりじり少しずつ増えていくこと大事。

クレストゲートしかないダムよりオリフィスやコンジットゲートを持っているダムのほうが
流下量を急激な山にせず、滑らかな山を描いて推移していくわけで
それはハイダムだろうがただの池だろうが同じこと。
水は正直。


奈良ホテルの入り口前を過ぎて横断歩道を渡って道路を戻ってきました。
ここには鹿飛び出し注意の標識があるんですが
周りの鹿飛び出し注意の標識と微妙に違っています。


この一枚はトナカイ。
国際基準のスタンダードデザイン。
とりあえずトナカイと呼んでいますが要は枝角が後ろ向きに描かれているもの。

この荒池周辺は標識がトナカイと奈良鹿でごちゃまぜエリアです。


これは奈良鹿。
枝角が前向き。
これが道路はさんで向かい合わせに設置してあったりしますので
鹿の国に来たら一枚ずつチェックするのも面白いと思います。


地面の鹿も看板の鹿も奈良鹿です。


上池と下池をつなぐ洪水吐の上に架けられた橋。
興福寺の五重塔が見えています。


立派な説明板がありました。

荒池は1589年(天正17年)、大和大納言・豊臣秀長の命で造られたもので
その後、池は荒廃していたけれど1883年(明治16年)に大旱魃が起きて
1888年(明治21年)に再建されたものだそうです。

いや待て
ちょっと待て
目と鼻の先にあるあの明治四十年五月一日建設記念碑は何なんだ。
上の池の改修記念碑…
いや、池を分断する道路が通った記念碑の可能性も…
ということは別の場所にまた記念碑がある可能性が高いのか…。

と、現場できょろきょろしましたが
フェンスの向こうの立入禁止区域内は調査できないので見渡すだけ。


荒池の中を通る道路は眺望がすごく良いのです。
興福寺方向と御蓋山方向に視界が開けているので
ここに桜が彩りを添えたら最高の水景。
ということで整備されました。

平成9年の流域貯留浸透事業で灌漑用水を確保しながら
容量を利用して治水活用ができる防災ため池の役目が加わり
それに合わせて景観整備がすすめられて現在の姿になったそうです。

“流域貯留浸透事業”というものを調べたら大和川流域整備計画の一つでした。
ため池にも調整池的働きを期待する為に整備する事業かな。


最初に下から見上げていた荒池の洪水吐越流部です。
スタンダードな直線越流堤。


池の北の端にある荒池の由来を記した石碑です。

一行目から
“奈良はいにしえより有力な河川に恵まれず”
と、書かれています。

うん。
でも人口が増えたからだと思う。
人口が少ない時代にはそれなりにバランス取れていたらしいので
7世紀ごろは皇室をはじめ豪族が所領地を抱えていたわけだし。

戦争や疫病がなく、人口が安定して増え始めると
どうしても水源確保が必要になる構図ですね。

きっと桜のころには大変な人気スポットになると思われる荒池だったので
桜が咲いたころにまた来ようとこの日は引き揚げました。