江東区うろうろ その2


あちこちにさりげなく立てられている説明板に情報量がすごく多い。

砂町運河についての説明です。
この場所にあった砂町運河は国や自治体の事業ではなく
舟運のために民間の手で開削されたものだとか。
1933年完成。
でもその後、周辺が宅地になり運河の役目が終わったことで
1980年に埋め立てられて親水公園になったと記されていました。


ちょっと離れた所にもまたまたすごい記念碑が。


砂町運河と親水公園となった仙台堀川についてのさらに詳しい記録です。

砂町運河は大正6年の大洪水で被災した砂町地区の復興と工業振興のために
開削が始まり昭和8年に完成した。

しかし完成までの間に大正12年の関東大震災と地盤沈下
度重なる高潮被害で運河の維持が極めて困難になり東京都に上地された。

その後、砂町運河は砂町川と改称され仙台堀川と合流して一本化された。
しかし仙台堀川は長年の地盤沈下で護岸の嵩上げが繰り返され
漏水が各所に発生し水質汚濁も進み、防災上危険とされ、河川の維持が困難になり
地域住民の埋め立て要望もあったことから一部の水路を残しつつ親水公園として生まれ変わった。

という内容が書かれていて、仙台堀川の歴史、すさまじいなと驚きました。


自然河川じゃなく運河として生れて人工河川でここまで変遷があるのがさすが帝都。


てくてくしているとサンポールのかわいい気配♪


りすりーの♪
ピコリーノじゃなくてリスリーノだった♪
かわいいよかわいいよサンポール♪


公園の通路でも堤防を乗り越えているような作りになっているところが
何か所もあって何度も護岸の嵩上げがあったというエピソードが
すごくしっくりきます。


てくてくして砂町銀座に到着しました。


朝早かったのであいているお店は少なかったですが
とても賑やかなのだなということは伝わってきました。


メインストリートを通り抜けて次のポイントに移動です。


地図をあまり見ないで方向だけを頼りに進んできたら
公園にぶつかって進めなくなりましたので方向転換。
南砂線路公園からもといた仙台堀川公園へ。


線路が残っているその下をくぐっている浮橋がありました。
これで向こう側に移動できる。


浮橋についての説明板がありました。
コンクリート製の浮橋でした。
コンクリートの船があるくらいだからコンクリートの浮橋は不思議でもなんでもない。


そんなにふわんふわんしているわけでもないので歩き心地は普通の橋です。


線路公園の桁のがすぐ頭の上なので狭くて楽しい。


渡りきったところで水路溜まりを見るときれいに打ち込まれた鋼製矢板♪


お手手つないでいる鋼製矢板が可愛らしくここで何枚も写真撮ってました変な人。