旧八百津発電所遺構 見学 その3

以前見学したのは15年以上前で
確かのその時にレポート書いたはずなのになと
思い出しながらよくよく調べると
レポートを書いたのに上げ忘れていたという事が判明しました。

時々だーーっとたくさんレポートを書いた時にやらかすのですが
自分は書いてサーバーにあげていたと信じているので気付かないという。


そして読み返すと全く知識が乏しかった時のレポートは
公開するに耐えないので当時の写真を使って書きなおすことにしました。
ここからの写真は初めて訪問した2004年の時の物です。


現在は少し下った所にあるバス停・関電前は
当時は余水路の上あたりにありました。
カーブのど真ん中になって危ないので今の位置に変更されたのかもしれません。


水槽から余水路の始まるところです。
写真の端っこに映っていますが
当時も現在と同じくきちんとフェンスが張り巡らされていました。


これが記憶に残っていたかわいらしい小屋です。
水門や巻揚機に屋根は必要ないので
これは発動機か何かではないかなと思って見ていました。
詳細は不明です。


真横から見たところです。かわいらしい。


こちらは取水口のスクリーンのすぐ横にある巻揚機のハンドル。
位置から考えて、上部水槽に溜まった砂を余水路の方に吐くための
排砂門の巻揚機ではないかと推定。


この上部水槽は壁で大きく3つに区切られています。
水路から運ばれてきた水が入る一番大きな部分と
余水路の間のスペース。
角落としのスリットつきの水門が2か所あります。


上流側がこちらです。
手前に横たわっているのが余水路への越流部です。


余水路に流れ出た水はここから川に向かって流れ落ちて行きます。


2004年も今も萌えるところは同じでして
この制水門ばっかり撮っていました。


何故、人は歯車に惹かれるのか(二回目)♪


上部水槽を見学した後、旧・八百津発電所に向かいました。


八百津発電所で水車を回した後の水は木曽川に流れる前に
この手前の建物のほうに流れてきます。
その為に壁がひとつ川との間に設けられているのが分かります。


この建物は放水口発電所といいます。

八百津発電所は木曽川の洪水で発電所建屋が被害を受けないよう
川面からかなり高いところに造られていました。

なので落差がこれだけあれば発電所の水をもう一回発電に使えるという事で
設けられた発電所です。


現地にあった説明板です。


説明文を読むと
今の感覚で水車までの水の流れを考えた時
どうも理解が及ばず、不思議で疑問符が飛びまくります。

“発電機は水密構造の水車室底部に設置され水車と直結しており”
“発電所本館の放出水を堰堤で水車室に流入させ、吸出管から排出する方式である”

うまく理解できないです。


ただ、今でこそ、河川維持流量を有効活用する小水力発電も
メジャーになりましたが大正期には全ての落差に対する
執念のようなものがあって開発されていたのかということは感じられます。

木津川にある相楽発電所取水堰堤も角落とし一枚分の高さでも
水頭を上げるよう国から指示されていたというし
富国強兵の時代の電力事情を感じ取ることができるこの遺構です。


発電所建屋に到着しました。
真っ白でエレガントでとてもとても美しい建物でした。
今でも美しさは変わりません。