渡良瀬遊水地 見学 その4


三県境を楽しんだあと、渡良瀬遊水地に向かいます。

北エントランスに中央エントランスって…
色々普通と規模が違いすぎる渡良瀬遊水地。


ハートの形の谷中湖を含む渡良瀬川の右岸側エリアに広がるのが第1調整池
谷中湖の東側で思い側の右岸、渡良瀬川の左岸にあるのが第2調整池
渡良瀬川の左岸で巴波側の右岸側にあるのが第3調整池です。

遊水地の面積は約33km2
周囲は30kmもあります。

洪水時にどのような働くかについては利根川上流河川事務所のHPの
渡良瀬遊水地の概要のページがわかりやすいです。


渡良瀬遊水地の歴史を学ぶ時に必須の知識のひとつ
この場所には明治時代まで、谷中村という村の中心部がありました。

これは谷中村についての説明板です。
ハートの形の谷中湖。

何故、あの形になったのかというとこの谷中村の中心部
少し高くなっている部分があるためにハートの形になったのです。


谷中村はこの場所に在った頃、、常習的に洪水が起きていたようです。
確かに渡良瀬川に巴波川に思川と三本も大河川が来ていたら
それは容易に想像できます。

でも洪水が多いところとか上流に崩壊地があるところって
下流で土地が肥えていることが多いわけです。

こちらの谷中村もやはり洪水常襲地帯ならではの生活があったようで
洪水が起きない年はとても豊かに作物が取れるし
洪水が来たら大ダメージの繰り返しがあったのかと思われます。

ただ、根本的な土地の特性として沼沢地ではあったでしょう。

谷中村の移転に関わる大きな要素の一つは足尾銅山の鉱毒問題です。
それについても説明板では詳しく書いてあります。


周囲に目をやると
あまりにも広くて平らなので
説明をくださる方がいらっしゃらなかったら
多分途方に暮れていたと思われます。


ご案内を頂いて向かったのはハートの形の谷中湖の上のくぼみに当たる部分。
ここに谷中村の遺構がいくつか残されているそうです。


道中、きょろきょろと風景を見て
どうも絵の中に入り込んだ様な気分になってきました。
葉を落とした巨木と後一か月もすれば葦焼きで火が放たれる高く伸びた葦原。


雷電神社跡に向かっています。


足元はそれなりに踏み固められて道だと分かりますが
シーズンによっては左右の葦と木々がうっそうと茂り方向感覚を失いそうなところです。
道路の左右がしっかり草刈りされていますが夏場などはこうはなっていないらしいです。
葦焼きに備えて延焼しないように橋やベンチ、木々の周囲などは
しっかり草刈りされるのだそうです。


延焼しないようにしっかり草刈りされた葦原の端っこ。

葦原の向こうに何も山が見えなくて
多分向こうに地平線しかなくて
広大な平らな場所がずーーーっと続いていて

ぺたんこになった若草山の様なのだけど
規模が全く違う。
あ、若草山よりは曽爾高原か。
いや、でも全く規模が違う。

渡良瀬遊水地、巨大すぎる。


丘のようになった場所に墓石が並んでいました。
こちらは延命院というお寺の共同墓地で
お寺のお坊さんのお墓などもここに残されているそうです。


小さな鐘が設置されています。
横の説明板を読むとこれは延命院の半鐘なのですが
昭和61年に埼玉県の消防署施設で発見されたとか。

洪水や火事の時に鳴らされるのが半鐘ですから
この地で古くから音を響かせていた物なのですね。


こちらの3基並んだ墓石を見た時に凄い既視感に襲われました。

あ・・・

そうか
あれは谷中村のこの場所のことだったのか

この三つの墓石があるのはずっと
足尾なんだと思い込んでいたけど

この場所の写真を見たことがあったのです。
足尾の鉱毒事件に関する文章の中でした。
なのでこの墓石がある場所を勘違いしていたのでした。
ものすごーく長い年月の勘違いがここで正されました。