津賀ダム 見学 その3

村の恩人の石碑を見た後、目的地に近づくために集落内に戻ります。


段々畑の上の山にそびえる砂防堰堤。
これが国道から見えていた気になるものです。

ちょうど通りかかった地区の方に
この道を登らせて下さい、と声をかけて許可をいただき
急勾配をよたよた登って行きます。
不審者だから。
砂防堰堤が見たいとか・・・絶対、変な人にしか見えないから。


砂防堰堤からずっと続く水路には堰堤のある沢とは
別の沢からの水がたくさん流れ込んでいました。


水路に架かる橋が在ったのでそこから集落を見下ろしたところです。

集落の向こうは国道と後川。
完全な沢筋。
この上で土砂崩れが起きたら集落まで一直線に進むのが見えています。


それを防いでいるのがこの砂防堰堤。
どっしりと谷を塞いでいます。

水通しがとても狭いし袖天端が長いし左岸側は上流に曲がっています。
これは降雨のたびに凄い量の水と土砂が押し寄せるポイントでは好まれないデザインです。

地形から考えると袖折でも全く問題ないことが見て取れましたので
ここは満砂になって長く、山を抑える仕事をしっかりとこなしている事を教えてくれます。

明治23年に崩れたのはこの堰堤の上流の山なのでしょうか。


どこが崩れたのかは判りません。

ただ、下から見あげていてこの堰堤がいい顔している事は解ります。

「僕の仕事はこの大用集落を守ることです」

胸を張ってそう言ってくれているのが伝わってきます。


この砂防堰堤は「熊野谷川砂防堰堤」というもので
高知県が昭和63年に築堤したものでした。

高知県幡多土木事務所にお電話させてもらってスペックを伺ったところ
堤高11.5m、堤頂長63.0mのという事でした。


守る人を見ている
365日、自分が守るべき人を見ている

そんな雰囲気が伝わってきて現地でにやけっぱなし。
ますます不審者。