寺ヶ池 見学 その3


石碑群に囲まれて洪水吐き部分。
橋が架かっているので天端が途切れる事はありません。


洪水吐きダム湖側。
シンプルです。
公園整備の一環で天端がこれだけ綺麗にされたので
その時に一緒に改修されているかと思われます。


これが洪水吐き下流側。
あんまり活躍する事はないと思います。
寺ヶ池は堤体の高さよりずっと水深が深いししっかり貯められますから。


そして一番立派なのがこの石碑。
寺ヶ池築堤三百五十年記念碑。
最近立てられたらしくてとにかく字が読みやすい(笑)

 この池は、今から三百五十年前、江戸時代の慶安二年(1649年)に上原村の中村與
次兵衛勝直が市村新田の開発を計画し、その灌漑用水の確保の為に幾多の困難を乗り越え
て築いたものである。
 池は、もともとこの池(地の間違い?)にあった寺ヶ池という小さなため池を拡張修築したものである。
池の東側と西側にある丘陵の尾根を自然の堤とし、北側に大きな堤、南側に小さな堤を新
たに築いて完成させた。
完成した池は面積約三万坪(一〇ヘクタール)、深さ九十八尺(二十九メートル)、貯
水量約六十万トンで、その灌漑面積が約百五十ヘクタールの規模を持つ大池となった。
 池の水源は、はるか上流の滝畑、日野境に求めた。流水路は、石川に井堰を設けた取水
口から池まで、曲折する急な斜面など急峻な地形に三里十八丁(約十四q)も設けね
ばならなかった。この為、工事は難航し、延べ四万人が動員され、夜間に提灯の光で高低
差を測り、昼はその測量結果をもとに掘り進められたと伝えられている。
 この碑は、今でも我々に豊かな恵みをもたらす寺ヶ池を築堤した郷土の先人の偉業を顕
彰し、未来に伝えてゆくために建立するものである。

と、書かれています。