大谷溜池 その3

今回、大谷溜池に行こうと思ったのは
いつものようなふわっとした思いつきで来たのではなく
ちょっと吃驚するような不思議な御縁が生まれたからでした。

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2018年10月に初版が出ました『日本のダム美』。
amazonではまだ初版が手にはいるようですが
一応、重版かかりまして最新版は第二版です。

第二版が出る時に、初版が出た後の調査で判明した
間違っていたところを修正させて頂き
正しいことを書き残せてよかったとほっとしていました。

令和元年のダムナイトでも書き間違いを謝罪して
ちゃんと調べなおしてきました報告をさせていただきました。

◆ ◆

令和元年の晩秋。

ダムマイスター仲間のdashelo様と
ダム愛好家仲間のしん様がダム巡りをしている記録が
御二人のtwitterに出てきました。

あらっ?
これは日本のダム美に「大谷貯水池堰堤(山口県)」で載っていた
メイソンリーフェイシングダムだ

ほ?
確かここは日立製作所様の所有のダムで
工業用水用ではなかったのかな?

違ったのか

灌漑用で造られてその後、水道用になって
工業用水として使われたことはなかった…

って、それなら何で日立製作所様の所有なの?

どういう経緯で日立製作所様が関わってくるの?

不思議に思ったのでdashelo様に電話をかけて
詳しくお話をお聞きしました。

◆ ◆

「もぉしもぉし」
「こんばんはー」
「山口、行って来られたんですねぇ」
「そそそそ。それで“これは隊長にお伝えせねば!!”というお話があるんです」
「大谷堰堤ですね」
「はいはい」
「現地で詳しい方にお会いしたみたいですが…」
「そうなんですよー」
「どういったシチュエーションで?」
「墓地まで車で行って、降りてから山の方に入っていったんですが」
「はい」
「少し進んだところになんか古い倒壊しそうな小屋みたいなものと
川を挟んで反対側に日立の所有地って書かれた
フェンスで区切られたところがあるんですね」
「ふむふむ」
「この辺りで山の方から4,5人の草刈りの用具とかを手にした
人たちが下って来たのに出会ったんですよ」
「ほうほう」
「で、山ではすれ違っただけでも挨拶ってしますよね」
「しますね」
「で、こんにちはーって挨拶したら“どこに行くの?”って聞かれたんです」
「その先にはダムしかないんですよね」
「いや、後で聞いたらその奥にも道が続いていて茶臼山って山の
頂きまで行けるらしいんですよ」
「ハイキングルート」
「にしたいな〜って事で、その道の整備をしている
ボランティアの方々だったみたいなんです」
「で、正直に“この先にあるダムを見に行くんですーっ”って答えたんですよ」
「変な顔されませんでしたか」
「いやそれがですね!!
“あ、ダムの事だったら後からくる“先生”がすごく詳しいんだよ”
って最後尾にいたすっごいカッコいいジェントルマンに紹介してくださったんですよ」
「ジェントルマンっ!!」
「お名前とか聞きそびれちゃったんですがこの人がもう凄い人でした」
「今、山から下りて来られたばっかりなのに案内しましようと
来た道を引き返してダムまで連れて行ってくださったんです」
「えっ!!凄い脚の達者な方ですね」
「その道中でいっぱいお話を聞かせてくださったんです。
御年はいくつくらいなのか判らなかったんですが
高齢の方にありがちなリピートとか一切なく
数字から歴史から全部頭に入っておられて
全くよどみなく大谷堰堤についてのお話をしてくださったんです」
「ほ、本物のカントリージェントルマン!!」
「で、そこでお聞きした事、あまりにも膨大な情報量で
全部を覚えきれなくてすいません」
「いや、ボイレコないと無理でしょ」
「たくさん貴重なお話を聞かせて頂いた中でポイントは
・灌漑用に造られたものでその後、水道用に転用されて
一回も工業用水を供給したことはない
・そもそも日立製作所・笠戸工場に送る水のルートがない
・笠戸工場の工業用水は末武川から引いていた
・なのでこのダムは日立の持ち物だけど灌漑・水道ダムである
・現在は水道水も取水していないけれどダムがある事で
流域の治水の効果が出ていると考えられる

というような事でした」
「すげー話ですね」
「忘れたらあかんからすぐツイートしておきました」
「記憶がフレッシュな時にとても大切なことですね」
「当日現地で会った人たちと大谷堰堤のある川筋の整備をしておられて
地元の魅力を発信する活動もされているんだそうですよ」
「ますます凄い人のようですね」
「後、当日、現地に私らと別にダムを見に来た人達がいて
偶然、現場で一緒になっているんです」
「ダム、大人気」
「その時に私らと別に来ていた人達の一人が
“ここは日立が工業用水確保のために作ったダムで…”
と、連れの人達に話し始めたんですよ」
「どこでそのソースを手に入れたのか…まさか日本のダム美…」
「その時に、カッコいいジェントルマンが
違いますよ、ここは工業用水のダムではないですよ
と優しく説明されていたんです」
「かっこええ…」
「その時にぽろっとこぼされたのが
“このままでは間違ったことが歴史になってしまう”
“間違ったことが語り継がれるのは避けたい”
という言葉だったんですよ」
「……。」

「なので私は専門的なところとかわからないけど
こういう事を調査してもらうには」
「書痴の私が適任という事ですね」
「…はい…隊長、すいません」
「拝承しました。私が責任もって調べてきます」
「拝承www」
「日立製作所案件だけに」
「しかし、その御仁に会おうにもdashelo様と同じくらいの
運と偶然がないと会えないのですよねー」

「参考になるか判らないんですがちょっと情報がありまして」
「ほうほう」
「なんでもそのダムの事を調べておられるジェントルマンが
作成した資料や模型を近くの公民館に置いてあるのだそうです」
「ダムの模型!! 」
「飾るところがないから押し入れにしまってあるそうですが」
「よっぽど大きいんですね」
「ヒントになりますかねぇ」
「(GoogleMapを見ながら)近くの公民館ってこの豊井公民館でしょうか」
「一番近いのここですね」
「…豊井公民館…大谷ダムで検索っと…」
「・・・でましたね」
「豊井公民館活動ってページですが」

「・・・」
「・・・」

「あっ!!写真載ってました・・・この人です〜っ!!」
「・・・うわっ!!まんまカントリージェントルマン!!白洲次郎様の様にカッコいい」
「隊長、現地入りされますか」
「近いうちに行ってきます」
「ダムの模型、凄く気になるんでそれも見せてもらってきてくださいね」
「拝承しました」

と、電話でやり取りしながらweb検索を駆使して
(実際は相当、時間を要しましたが)
どこに問い合わせたらよいかというところまで
dashelo様との共同作業で道ができました。

豊井公民館に電話で問い合わせたところ
dashelo様としん様の御二人にこの情報をくださったのは
豊井公民館で「豊井を知る教室」などの活動で地元の魅力を発信している
豊井今昔探訪クラブのメンバーの方であることが分かりました。

活動で公民館にお越しになる日をお聞きして山口入りしたという経過です。