大滝ダム 取材同行 その1

そんな大滝ダムの見学の話が突然舞い込みました。
TVロケがあり、その時にダム愛好家にも現地に来てほしいというお話でした。

TV取材が大滝ダムに入るという情報に真っ先に頭に浮かんだのが
 「また、本省のダムに対するバッシングか」
 「大滝ダムをどんな風に報道するんだろう」
という事でした。

なので話が廻り回ってどういうわけか自分の所に来た時にも
疑心暗鬼が先に立っていました。

ロケの前に制作サイドとお話をして
ダムの魅力と役割についてと
大滝ダムはとてもデリケートに扱いたい物件と認識していることを伝えました。

今から試験湛水にもう一度挑む準備を進めている大滝ダムにとって
マイナスな広報になるようなら引き受けられないともお話ししました。

膝を抱えて蹲り
拳を固めてゴーサインを待つ
そんな痛々しい大滝をいじめるなんて絶対やめてほしい

と、擬人化著しい自分の頭では
この話を聞いてからという物、大滝ダムがいじめられないかと(←妄想しすぎ)
気分が落ち込む一方でした。

しかし、大滝ダムを管理している紀の川ダム統合管理所にお聞きしたところ
私が考えているような触れてはいけない、話してもいけないというような
厳戒態勢ではなく、ごく普通のダム見学のように受け入れてくださるようだという事が判り
気持ちが少し楽になりました。

大滝ダムについての魅力を伝えるという趣旨ならお手伝いしてもいいかな

大滝ダムの見学ができるならお手伝いしてもいいかな(←動機が常に不純)

と、胃が痛くなるような数日を過ごしましたが
制作サイドの皆様にもダムを鑑賞することの楽しさを
解っていただけたという感触を持てましたので
ロケに参加を承諾して、当日を迎えました。


TV局の取材クルーの皆様とレポーターの方が大阪から到着するより早く
大滝ダム管理支所に到着して流域地図を見ながら
紀の川ダム統合管理所の方に色々お話を聞いている時に連絡が入りました。

国土交通省の皆様と一緒にロケ地点に向かいます。


ロケ開始地点。
打ち合わせ中の皆様の足。

今回の大滝ダムのロケは
大変、男前で人気がある漫才師の方が担当するコーナーの取材という事です。

後日、職場や家族に聞くとみんながその名前を知っていて
非常に関西エリアで人気のある方だという事を聞き
またまた胃が痛くなりました。

しかし
スタッフの方が私の名前を間違えて呼ばれます。

「やすずめさ〜ん」

   

「(誰それ)・・・はい」

結局、この日、撮影の最後まで「矢雀」と呼ばれていたような気がします。
しかし読み間違われるのは多いので自分のことだと判ります。

電話で多いのが「吉住様ですね」とか「吉詰様ですね」というもの。
訂正すると余計ややこしいことになりそうなので復唱はしますがあえて突っ込みません。
夜雀は「よすずめ」と読みますのでよろしくお願いいたします。


オープニングシーンを取材した後に右岸の絶景ポイントに移動。
この道路の先はまだ立入禁止です。

川が曲がっているので大滝ダムを下流から眺めるのには
この、右岸にあるトンネルを抜けてすぐのこの場所がベストです。


う〜ん♪
男前ですね〜♪

現在、コンジットの常用洪水吐から流入量相当の放流中です。

大滝ダムの下流には関西電力の大滝取水堰堤があります。
大正時代に作られたという風格のある堰堤と最新型の堤体のベストマッチ
(なのに写真では一緒に写っていないというのはこれ如何に)


管理支所の横まで移動してきました。
大滝ダムの天端です。
フェンスで仕切られて通行できません。

しかしこのすっきり天端。
ゲート巻上機室やエレベーター棟の突出物なしのすっきり天端。
最新型ですね〜。


この位置から下流側を見るとこんな感じです。
写真右の建物が大滝ダム管理支所です。

大滝取水堰堤の下流で渓谷が狭隘になっています。

河川の狭隘な部分は急な出水で上流部の洪水を引き起こします。
渓谷の開削は上流部にとってはとても重要な事なのです。


気象災害史に残る伊勢湾台風は
1959年(昭和34年)に紀伊半島を襲いました。
最低気圧 895 hPa、最大風速75m/sという凄まじい台風でした。

この時に川上村も大きな被害を受けました。

上流の治水に必要な渓谷の開削が下流と利害を異にするため
簡単にできない事は琵琶湖総合開発を調べている時に知りました。

同じ問題は国内の各所で起きていると思います。


副ダム周辺。
このあたりはいつも『学べる建設ステーション』側から見ていたのでとても新鮮。

トラス状の鉄骨は解体した工事時の機材のように見えました。

写真の右上の方にあるのは関西電力の大滝発電所になります。