大河津分水 見学 その2


大河津分水路では現在、河口部に近い第二床固工で改修工事が行われています。
これについてはこの後、現地の資料館でしっかり勉強することにして概要だけ確認。


平成23年7月出水は既往最大とされていましたが
令和元年のT1919の出水はそれを超えたのです。

80年前に造られた第二床固工本体も老朽化して補修が必要です。
この辺りも後で現地の資料館でしっかり勉強。


大河津分水の模型です。
海へのショートカットの分水路。
信濃川の水量をコントロールする信濃川水門。
そして切り開かれた角田弥彦山地がとてもよく分かります。


信濃川補修工事概要の碑の上部に記された
青山士技師の書のレプリカが展示されていました。


これが信濃川補修工事竣功記念碑です。
初代可動堰である自在堰のゲートピアの形なのです。

この扁額には落款もないし名前もないのですが
右下にちいさく、ほんとに小さくマークが入っています。
「A」という文字を上下逆にして二つ重ねたようなマークです。
青山士技師のイニシャルなのだそうです。

「本作品は大河津分水工事を記念して植樹された桜の古木を
材料として製作したものです。 建設省 大河津出張所」

桜は種別によりますが、よく植えられているソメイヨシノなどは
30年くらいで寿命を迎えるものもあります。

記念樹が枯死した時に、その樹体をこんな素敵なオブジェにして
残してくださったそのセンスが素晴らしい。


そして傘が役に立たない降雨状況と言うのが最も正しい暴風雨の中、
ガイドをくださった方にご案内をいただいたのは自在堰跡です。


通水した時の喜びの写真と現在地の様子を写した写真で
説明板が立てられていました。


その説明板のずっと下、堤防の法面の下にある石積みの基礎部分。
ここが自在堰跡です。

ガイドをくださった方と一緒に暴風雨の中
ここで100年前喜んでいた人と同じように万歳して記念写真撮りたいですね
そのためにここを綺麗にする清掃活動をして
その参加者で記念撮影するとかどうでしょうね♪
と、夢を語るなど。


自在堰跡から見た旧可動堰です。
旧可動堰は三門だけを残して撤去されました。


大河津分水二代目可動堰。
初代の上流に造られました。
そして三代目可動堰は初代の下流に造られました。


1931年(昭和6年)から2014年(平成26年)まで、83年も頑張った旧可動堰です。


これは小39年から40年にかけて行われた改造工事のプレートです。
何度も補修を受けながらお務め果たしてきたのです。


ガイドをくださった方とお別れして、風雨の中、三代目可動堰に向かっています。


これは2011年に大河津分水に初めて来た時に撮った写真です。

旧可動堰の向こうでは現在の可動堰が建設中でした。
現在の可動堰は2014年(平成26年)6月29日に竣功しています。


しかし模型で見てもホントにこの大長径間をラジアルゲートって可能なのかと
物凄く不思議だったので実物を見ると事更に異質なものを見ている感覚がわきます。


ラジアルゲートだし油圧シリンダーだし
従来型河口堰にありがちな大きな建屋とピアに巻揚機とシェル構造ローラーゲートが無くって
ここまですっきりしてしまうと逆に不安になるくらい。
すっきりしすぎの三代目。

塗装も環境色だし目立たないことを目的に入れているかのような控えめさ。
仕事は凄いのに。


このすっきり感が技術の進歩を物語っているんだなと
しばらくゆっくり堪能したかったけど雨にぬれっぱなしで流石にまずい
風邪引くわけにはいかないし…と残念ながら引き返しました。