三浦ダム 見学 その3
堤体の右岸には貯水池を見下ろせる高い所に慰霊碑が立てられていました。
三浦ダムの工事では33人の方が亡くなっているそうです。
三浦ダムの貯水池が形成されている三浦平という場所は
北条軍に敗れた三浦一族が移り住んできた土地で
地名が三浦になったのだそうです。
ダム建設に伴って移転してくださった集落の皆様の
苗字がやっぱり今でも全部、三浦なのだそうです。
「そういえば御社の三浦ダムを
“みうれ”ダムと呼ぶんだという話が出回っていますが
実際はどうなのですか」
「ああ…味噌川ダムの資料館でそういう記載をされているらしいですね。
それでそういう風にわざわざ言いなおしてくださる方もいらっしゃいますが
当社では“みうら”ダムです 」
「解りましたぁぁ!!」
三浦ダムは“みうらだむ”でお願いします。
慰霊碑の横から貯水池を見たところです。
「竣功当時は東洋一の貯水量でした。6500万m3あります。」
「6500万m3って今でもかなりすごいと思います」
大きな取水塔にいくつも取り込み口が並び
それぞれに目の細かいスクリーンが取り付けられています。
「これから冬に向けて貯水池を空にしていくんですよ」
「空っ!?なんで空にしちゃうんですか」
「割と雨が良く降るので春先には回復しますよ」
「雪もそれなりにあるとは思いますが空って怖いです…」
「発電所の取水塔から水圧鉄管で三浦発電所に行くルートがあります」
「はい」
「その取水塔の更に低い部分に2条、放水管というものがあって
ここから取った水は放水庭に出て、先ほどご覧になった
右岸のトンネルからに滝越発電所まで行きます」
「はい」
「そしてさらに底部に近いところに排砂管がありまして
毎年、この排砂管で貯水池を空にするまで取水します」
「ここここ、ここ、排砂管、ちゃんと運用出来ているのですかっ!!
すごいすごいすごいっ!!」
頂いた資料に載っていた上流面です。
◎が三浦発電所の水圧鉄管の吞口の高さ
○○が三浦発電所放水庭に水を出す放水管の高さ
そして一番低い所にある○が排砂管の高さです。
「最上流部の盆地で土砂の流入もほとんどない最高の立地で
しかも毎年排砂して貯水池を健全に保つことができるとか
どれだけハイスペックですかっ!!」
お話お聞きしていてこの日一番感動したのがこれでした。
貯水池を空にすることを“zero touch”と仰っていた。
かっこいい単語覚えたから使いたいけど
使いたくても使えるところが連携排砂をするときの出し平&宇奈月ペアと
真川調整池以外知らないのであまり使えない。
貯水池すっからかんにするって
その後で絶対水位が回復する保証がない限り
怖くてできるもんじゃないから
こういう運転されるダムってすごいなと思います。
積み上げてきた運転実績とデータが支える精緻な運用。
次に連れて行って頂いたのは右岸の高い所にあるヘリポートです。
長野県西部地震で林道が落ちて大変なことになったので
それを機にここに造られたそうです。
平成2年に造られたものであるとの事。
幸いなことに、造られてからは災害で実際に
使用しなくてはならない事態になったことはないそうです。
なによりなにより。
ヘリポートから貯水池は良く見えますが
木で隠れてしまって堤体は良く見えないです。
ヘリポートに行く途中の階段からかろうじてこんな感じで撮れました。
広い天端を右岸側に戻ってきました。
三浦ダムの天端には線路が敷設されていたと聞いています。
自然湖の説明板にあった在りし日の森林鉄道の写真です。
この森林鉄道が堰堤の上まで来ていたのです。
昭和54年10月に王滝川ダム上流の滝越地区から三浦ダムまでの区間を
走っていた森林鉄道は廃止され、代わりに林道が整備されたそうです。
こちらが堤体の上に敷かれていた森林鉄道の線路の写真です。
右岸から左岸を見たところです。
線路があったのは天端の貯水池側ではなく下流側だったということでした。