九頭竜ダム 奥越電源開発 その4

九頭竜ダムに関わる資料を探してあちこち行きました。


これは福井県内で閲覧した貴重な資料の一つ
『長野ダム工事写真』です。

九頭竜ダムは和泉村の長野という場所に堤体を作ることになったため
建設当初はずっと長野ダムと呼ばれていました。
堤体が完成し竣工してから改名したダムです。


九頭竜ダムの図面です。


御母衣ダムの直後に造られた九頭竜ダム。
御母衣に続いてのロックフィルとなりました。

大阪府立中之島図書館で書庫にあった電源開発の社史を見ると
『御母衣が楷書なら長野は行書だ』
と、当時の電源開発の総裁が褒めたたえたことなどが書かれていました。

これは御母衣ダムが国内で初めてのロックフィルダムでその機械や技術も
すべてアメリカからの教えの通りに実践したのに対し
九頭竜ダムは国土の特性にあわせ、技術も洗練されたものに変わったことを
表現した言葉だと思われます。

しかし同時にアーチを作りたいという気持ちが社内にあったことも書かれていました。
アーチを作りたい♪と思って地質を調べたがロックフィルが適当とされた御母衣
今度こそアーチを作りたい♪と思っていたがまたしても地質に恵まれなかった九頭竜
社内では当時「アーチくずれ」という言葉がよく飛び交っていたとか(笑)。

アーチは経済コストの面でもですがコンクリート技術者にとっては
技術の見せ場、継承という点でも重要なのでアーチが作れないと
コンクリート技術者が流出してしまうという心配もあったみたいです。

なのでこの後に造られた新豊根ダム(1972年竣工)には格別の思いがあったようです。
それまでに池原(1964年竣工)や坂本(1962年竣工・でんぱつ初の100m越えアーチ)
二津野(1962年竣工)といった立派なアーチも作っているのに。

こういうエピソードが大好きです。


洪水吐にかかる橋は、しぶき橋。
長島ダムの減勢工にかかる橋の名前も、しぶき橋でした。
定番のネーミングのようです。


そして工事写真集で目を引いたのがこの定礎石。
長野ダムと書かれています。


定礎式の様子です。
工事が無事に安全に進みますように。

長野地下発電所の工事の様子です。
写真集には他にも仮排水トンネルや所要設備の写真がたくさん収められています。
名高い200t大発破の写真もありました。