君ヶ野ダム見学 その17
第2オリフィスゲート室の横に綺麗なスチールプレートがありました。
堤体に故人の名前を記しているというのは見た事が在りません。
工事中に亡くなった方の慰霊碑というのは見た事がありますが
こういうものは初めてです。
「この方はダムの関係者ですか?」
「はい。ダム建設直後からずっと勤めておられた方です。」
「何のお仕事をなさっていたのですか?所長さんですか?」
「機械技師でした。」
ダムが出来てからずっとこのダムを守っていた方だったのです。
雨の量から放水量を予測してゲートを操作するダムの防人だったのです。

空を見て、川を見て、水と戦い、水を治める仕事に一生をかけた方でした。
享年49歳と伺いました。突然亡くなったとの事。
雨はいつ降るとも知れず
川の水はこの場所の雨だけで推し量る事はできず
下流の水位を観測しながらの放水調節。
来る日も来る日もゲートとの戦いだったのでしょう。
君ヶ野ダム管理事務所の職員数は6人。
この6人で365日戦わなくてはならないのです。
子供が学校の父親参観日だから来て欲しいといっても
運動会だから来て欲しいといってもいけない事も在ったでしょう。
法事があっても義理を欠くとわかっていてもダムから離れられない
日があった事でしょう。
それこそ雨が降れば、休み無しで土曜日も日曜日も祝日もなく
働き詰になるのがゲートだけで放水を調節するこのダムの宿命でした。
自由越流式のダムは管理が非常に楽です。
ゲートが無いのですから作った後はダム任せです。
最近のダムには自由越流式が多いのにはこういったマンパワーの
問題も一枚噛んでいるといわれています。
水との戦いの最前線。堤体に刻まれた戦士の名前。
ありとあらゆる情報を知り、分析して経験を駆使し
ゲート操作に全てをかけるダム管理の真髄がここにありました。
「この方は本当にダムにとってかけがえの無い方でした。」
「普通は堤体に絵を画く事すら許可は出ませんがこのプレートは
この方の功績を残したいという有志の希望で何とか許可をとる事が出来ました。」
「いっしょに働いた期間は短かったけれど沢山の事を学びました。」
「確かに難しいダムです。でもこのダムで僕は頑張っていきたいと思っています。」
後継者となる方の力強い言葉に鼻の奥がつーんと熱くなりました。
戦いの水音は今もこの谷間に響いています。

天端から下流を見るとすぐ市街地と主要県道です。
とても身近な場所にあるダムなのです。
だからこそ洪水に備え、常に目を光らせていなくては
ならないダムでも在ります。
突然の押しかけ見学者にこんなに親切にガイドをしてくださった
君ヶ野ダム管理チームの職員の皆様に感謝いたします。
本当に有難うございました。
これだけシビアな管理を要求されるダムですから
下流河川が整備されて洪水に対応できるようになっているかが気になります。

君ヶ野ダムの下流、隣町の白山町には河川公園が整備されています。
『家城ライン』と呼ばれる観光地です。

川幅はとても広いのですが第一印象としては浅い川。
流れは速いですが草がこれだけ繁っているところから見ても
増水にそんなに晒されているという印象は沸きません。
浅い川がすぐ氾濫するので怖いのです。
洪水に対応できる川とは深い川。
この辺りはまだ公園整備が行われたときに護岸工事がなされていて
ある程度の高さが確保されているので大丈夫と思われます。
昭和57年水害の教訓が生かされているように思いました。