土木a la mode 黒部vs宮ヶ瀬 その4


16回の設計変更。

ここで黒部のデザインに関わってくれたのは
あのイタリアのセメンツァ博士の在籍していたエレクトロコンサルタント社です。
バイオントダムの設計者のセメンツァ博士です。

大変な災害が起きてしまったバイオントダムのダム津波事故ですが
現在もバイオントダムは無傷で残っています。
それだけ強固なアーチダムを作る技術が黒部ダムにも届いているのです。

イタリーのダムは本当に美しい
イタリーのダムの放流は計算されつくした水流でどこにも負荷をかけず美しく合理的

これはお世話になっているダムエンジニアの方からお聞きした言葉です。


そして堤体が完成する前から湛水は始まり
発電所には水が送られ発電をしながらの堤体打設。

満水位を確認したのは竣工してから9年目の事でした。

しかしそのわずか2か月後に
あの立山に69谷を作った大災害、昭和44年8月豪雨がやってきたのです。

あの有峰ダムがクレストゲートを開けた唯一の出水です。
この時、黒部はこのスライドにあるようにクレストから放流しました。


幾多の困難を乗り越えて竣工した黒部ダムは
多くの土木技術という日本の宝を生み出しました。
電力土木。
それはすべての土木技術が結集している世界なのです。


黒部ダムは完成するまでに数々のドラマを生み出しました。
しかし仕事を始めてからもダムエンジニアの皆様の仕事はずっと続きます。

この黒部峡谷に水力発電のダムとして
仕事を続けるために必要なメンテナンスと観測。
この観測こそが黒部の宝といえるのではないでしょうか。


竣工からずっと続いている堤体の挙動の観測
コンクリートブロックの観測


そして黒部ダムの観測は自然の様々な現象を発見しました。
地下水位が高い夏場と低い冬場では谷の幅が変わるという
山押しという現象を発見したのだそうです。

この発見は海外のダム建設現場にも大きな影響を与えました。


そして今回のテーマ。
人を引き付ける魅力はどこに?

そんなんカッコいいからに決まってるやんっ!!
こんなカッコいいデザインのダム他にないもんっ!!
そしてあの山奥にこんなすごい物があるって言うのが信じられなくて感動するの当然やんっ!!
黒部素敵ーーー!!

などと思ってしまいますが
やっぱり実際に管理しておられる方ならではのアカデミックな御言葉。


最後に黒部ダム建設にかかわったOBの方の御言葉を
動画でお見せしたかったのですが
動作不良で動画が再生できなくって
予行練習の時はちゃんと動いたのにっ
ごめんなさいすいませんしーくしくしくしくしく。

吉津支社長がOBの方のお言葉を代弁してくださいました。

「構造物にはそれなりの風格がなければならない」

風格。

黒部ダムはあの深い峡谷に
186.0mで立つ事を
自らの使命として生まれようとしていました

生まれ来る途中で150.0mならば許そうと
186.0mで立つ事を否定された時に
自らに下した決断

山に伸びる自分の腕を切り落としてでも186.0mで立たねばならないと
両岸に重力式のウイングを持つことを受け入れました。

山に伸ばす腕の代わりに自らを支える翼を手に入れたのです。

人々により多くの電気を届けるために手に入れた翼。

これが黒部の風格の源の一つではないかと自分は思います。