T1318襲来時の日吉ダム その3

という事で嵐山にやってきました。
紅葉の頃にはホントにとんでもない人出で人酔いするくらいなので
寒ーく寒ーくなってからやってきました。


嵐山の市営駐車場に車を入れて川縁へ。

立っているのは国交省の河川名看板。

おおいがわ?
福沢桃介?


渡月橋の親柱を見ると・・・


これでおおいがわと呼ぶらしい。
わぉ。
地元では古くからこう呼ばれていたのか。


現場の観光地図。
保津川があって大堰川があって桂川があって混乱しそう。
京都的ややこしさ。


欄干などが木造なので全部木製だと勘違いされやすい渡月橋ですが
しっかり頑丈なコンクリート橋です。

橋脚が細いし本数も多いので洪水時には流木を捕捉しやすいですが
そのためにちゃんと設けられているコンクリート製の流木どめが
今回の出水でも効果を発揮しました。

橋脚に引っ掛かる流木を先に捕まえてその向きを変える仕事もします。
なので両端が冠水したのに渡月橋は無事だったのです。


これは渡月橋のすぐ上流にある一の井堰。
保津峡を出てきて一気に川幅が広くなっているポイントです。
ここに堰があることはダム愛好家なら気になるはず。


これが一の井堰。
ゲートも付いています。
魚道もあります。
小水力発電設備もあります。


一の井堰の管理は京都府洛西土地改良区。
目的は灌漑専用。
洪水調節機能は勿論ないない。


渡月橋を渡って中之島へ。
中之島地区の下流端はかなりダメージが大きいみたいで
あちこち工事中。


中之島にきて探していたのは天竜寺水位観測所です。
右岸側を流れる川のそばに来て吃驚。
こちらの川にも取水堰がありました。

これは上流水位上がりやすくなるわけです。
この下流にも水位を確保するための落差工みたいなものがあり
中之島右岸側を流れる川はかなりシビアな狭さと水位。

そして水位観測所はどこかいなときょろきょろしていたら・・・


川から離れたこんなところにありました。


中之島地区は場所によりますが90cmくらい冠水していたところもあったそうです。
ここもかなり沈んでダメージ受けたのかも。


中之島から宇治川右岸に移動です。
ここに架かっていたのは渡月小橋。


渡月小橋の直上流は工事中です。
このあたりは浸水被害が凄かったのです。
川幅狭いし水流強くなるし取水堰あるし橋で流れが悪くなるし
船が流れてきたり・・・しくしく。


この渡月小橋の上流側の桁隠しに災害痕跡が。

ここは災害時に船溜まりの船が押し寄せて引っかかって
船が立っていたりしたところらしいですから
そう考えると被害は軽微かも。


右岸から一の井堰を見たところです。中之島の上流端に接続しています。
中之島の右岸側を流れる水はここで分岐しています。

保津川下りの船や鵜飼の観光船
たくさんの船が行き来するために必要な水位は
一の井堰で水位を決められているんですね。
これは河川改修するとしてもものすごくややこしくて大変そう。


中之島から見た渡月橋上流側です。
橋を上を通っていると気づきませんでしたが
この距離で見ると少し壊れていました。


桁隠しがばーりばり。

T1318の出水で嵐山地点のピークは9月16日の7時頃でした。
この頃には渡月橋の岸に近い(中央より低い)両端付近では
橋面を水が乗り越えていたそうですから
より水に近い所で衝撃を受ける桁隠しがばりばりに壊れてしまうのもやむなしです。
昭和35年の台風16号でも同じところが壊れているそうです。


一通り渡月橋周辺の様子を見た後
手が凍ったように動かなくなっていたので手袋を買いに行きました。

ぬくぬく手袋をお土産屋さんで購入してほっとして
お店が立ち並ぶ道から一本裏道に入ったところに神社がありました。
大井神社という名前です。

あ、大井川とおなじ字。
昔は大堰川じゃなくて大井川だったんだろうか。

御祭神はなんとなんと宇賀霊神(ウカノミタマノカミ)。

大堰川の守り神との記載がありましたので
嵐山の治水をお願いしてまいりました。