吉野川分水 その2


西部幹線の水路の方にも行きます。
西部幹線の入り口のゲートは閉まっていました。


ずーーーっと水路が伸びています。


この先でこちらもトンネルになっているはずです。


西部幹線の水路の横に新しいきれいな説明板がありました。
さすがに昭和54年の説明板だけではありませんでした。


せんとくん付きで綺麗な写真もついてばっちり説明されています。
右側に大迫ダム、津風呂ダム、下渕頭首工の写真。
左側に馬見サイホン円筒分水工、飛鳥第1頭首工、金剛第1揚水機場、
空から見た大和平野の写真。

奈良県が整備した一の木ダムや天理ダムも地図に描いてありました。


ということで次はそれぞれの幹線末端部を目指します。

◆ ◆


東部幹線の末端部。
地図で探してもなかなか見つからなかったのですが
このあたりにあるはずなんだと情報を家族に与えておいたところ
通勤途中にうろついて発見したという報が届きました。
家族、えらい。


家族からの情報でてくてく歩いてやってきました。
大和郡山市田中町の中学校の横。
奥のフェンスは中学校のプールの周囲にめぐらせた柵。
吉野川分水と無関係。


このぽつんと立っているものが東部幹線末端。
国営事業で作った施設の末端部。
ここからは県が整備した水路に水がいきわたります。


暗渠になっているので表に見えているのはこれだけ。


そして東西分水工でも見た水土里ネットの説明板です。
この場所は水源の大迫ダムから88.8km地点
津風呂ダムから56.9km地点
下渕頭首工からは44.4km地点です。


米袋の裏と同じ分かりやすいイラスト付き♪

◆ ◆


西部幹線の末端の馬見サイホン円筒分水工には五位堂駅から歩いていきました。


途中に葛下川という川を小さな別所橋という橋で渡りました。
葛下川は大和川大水害を勉強するときには絶対に出てくる川です。

別所橋を渡るときに、橋の脇から凄い巨木が顔を出していて
そちらに全部意識を持っていかれたくらいのインパクトでした。

このあたりは葛下川の上流域ですが河道がそれなりに
深く掘りこまれたり整備されている区間だったので
よけいにこの巨木が気になったということですが。


ため池の横をすぎてどんどん上り坂。
円筒分水は山の上にあるらしいのです。


新しく宅地造成されたのかなというエリアに忽然と
周囲で一番高い所に円筒分水工がありました。


すごいピカピカ。
最近作ったのかというくらいピッカピカ。


とりあえず一周します。


ありました♪水土里ネットの説明板。
この場所は水源の大迫ダムから68.4km地点
津風呂ダムから36.5km地点
下渕頭首工からは24.0km地点です。


1970年(昭和45年)に完成した円筒分水ですが
コンクリートも鉄物もすべてが真新しいので
最近、改修工事が行われたのかなと思います。

周辺の住宅地もすごく新しいし。
宅地開発の折に改修されたのかもしれません。


お名前がまんまるフォントで可愛らしかった♪


プルニエ協定が締結されてから水路網の整備が完了し
大和平野に水がいきわたったのは1987年(昭和62年)のことでした。

奈良県南部の豊富な水が
水貧乏の大和平野に届くのにはこんなに年月がかかったのです。

水貧乏の土地に水を引くことの大変さ。
淡河疎水然り、安積疎水然り。

各地の灌漑用水確保のための事業を調べたいと共に
受益地の米袋のデザインにダムが書いてあるものが
どれくらいあるだろうかという調査をしたい欲求もでてきた
吉野川分水の施設を回ってきたレポートでした。