内海ダム 見学 その7


右岸にやってきました。
ここでやっと内海ダムの銘板発見。


右岸から天端を見通したところ。
こちらは下流側に広くなっていますが
やはり右岸と左岸で考えたらこのダムがコンバインとは考えにくいです。


これが管理事務所です。


管理事務所に架かっていたのは
「内海堰堤管理事務所」の薄らいだ文字でした。


梅がもう少ししたら咲くだろうという気配を漂わせていました。
右岸から上流面を見たところ。
どうみても天端がタイトに作られた重力式ですね〜。


ゲート周囲にはこのように色んな水位標がついています。


あまりにも現地で疑問が噴出したので
帰って来てから内海ダムについてwebで調べたところ
吃驚するような写真を見つけました。

うわぁぁぁぁっ!!
て、堤体がっ
堤体がぶっ壊れてんがなー!!


この写真で下流側に見えているフィル部分がごっそり崩れ落ちているんです。

昭和36年の台風17号で内海ダムは堤体越流し堤体を洗掘されるという
物凄い被害を受けていたのです。

そしてその写真には信じられない物が写っていました。
コンクリート部分が下流側に鉛直で残っており洗掘されたのは表面だけだったのです。

これ・・
もしかしてコンバインって
現場で私が思ったのと同じで
堤体上流面が重力式コンクリートで下流面がフィルのコンバインなのかっ!

吃驚した勢いでそのまま
香川県の内海ダム再開発建設事務所に電話をして聞いてしまいました。

すると

・内海ダムは昭和31年に当時の内海町が水道水源としてコンクリートで建設しました。
・さらに昭和34年に洪水調節機能を持たせた多目的ダムとして改築しています。
その時に下流面に土石をもりたててコンクリート土石混成堤になりました。

というお答が。

なんとなんと
内海ダムは元々はコンクリートの小さなダムだったのに
下流面に盛土をしてコンバインにしているという
他で聞いた事のない変わった造りのダムだったのです。

そりゃこういう構造のダムだったら
堤体越流したらフィル部分が持ちこたえられなかったというのも頷けます。
コア無しですしフィルダムの安定計算といろいろ違いすぎるでしょうし。

◆ ◆

更に、ダム協会様からこのような貴重な情報をいただきました。

(財)ダム技術センター発行
「ダム技術 No.157(1999.10)」に掲載されている
「内海ダムの再開発について」によると
昭和31年 第1期工事:堤高14.0mの重力式コンクリートダム(G)

昭和34年 第2期工事:堤高21.0mのコンクリート土石混成堤(GF)

と、工事が行われたそうです。


(財)ダム技術センター発行「ダム技術 No.157(1999.10)」
香川県土木部河川砂防課 大西 泰史 様 「内海ダムの再開発について」より
内海ダム堤体標準断面図をお借りしました。

現在ではまずこういう発想はないと思います。
昭和30年代の技術力とコストなど様々な要因があって
このような変わったダムが造られたのでしょう。

今の耐震基準や、この場所に在るダムとしての洪水調節能力から考えると
今の内海ダムはとても脆弱であるという印象です。

これは今後の出水に備えて再開発で新ダムを造るというのは
妥当では無いでしょうか。


堤体下流の川に架かる遊仙橋からダムと寒霞渓を見たところです。

内海ダム再開発はもう工事が始まっています。
この姿を見られるのはもうあと数年しか残っていないのかもしれません。

珍しいコンバインの中でも聞いた事のない変わり種のコンバイン。

本人は
どう思っているかな

重力式ダムで生まれた時の事
洪水の危機にあってフィル部分をつけてもらった事
堤体越流でそのフィルを洗掘された事
その後にもまた堤体越流するかもしれないほどの出水を経験した事

そして

自分を沈めるダムの工事が始まった事

美しい寒霞渓を望む内海ダム。
新しい内海ダムにその役割を譲るまで
この場所で水を大切に貯めて働きます。

沈むその日まで。

ダムとして働く建築物として

役目を全うするのです。

ここに北へ向かう渡り鳥が立ち寄ってはくれませんか

このダム湖に降りて内海ダムから北へのメッセージを預かってはくれませんか

渡り鳥に託すのは石淵ダムへのメッセージ

石淵ダムもまた沈む日を待つ身です


事前調査もろくにせず突然やってきた内海ダムでしたが
とても見ごたえのある小さな小さな変わり種コンバインダムでした。