柵原鉱山見学 その1

岡山県久米郡柵原町には、かつて硫化鉄鉱の生産東洋一といわれた
柵原鉱山があります。近代鉱山としての操業は明治17年からという
地域の主幹産業であった鉱山です。

町の名前である『柵原町』も、昭和30年に鉱山周辺の4ヶ村が
合併したときに柵原鉱山にちなんでつけられたというエピソードがあります。

鉱山の横を流れる吉野川には鉱石運搬の為の高瀬舟が行き交い
陸路に変わってからは鉱石運搬の為の片上鉄道が通りました。

繁栄の残り香が今も大切に守られている柵原町には立派な
鉱山資料館も建てられています。


始めて柵原町に来た時はまだ鉱山資料館の方が楽しみで
鉱山の関連施設などはあまりよく見ていませんでした。


普通辿り着く為に通るであろう道を上手に外して迷っていたときに
正面の山に突然櫓が現れました。ばっちり見えているのです。
中央縦抗の櫓が!

  
町内の道路のそこここに口を開けている坑道があります。
これは鉱山の坑道だと思っていたのですが大東亜戦争当時に
京都の宇治にあった火薬工場を柵原鉱山の地下に移すという
計画があった為に昭和20年5月頃から鉱山側で掘っていた坑道なのだそうです。

実際に使われる事は無かったのですが終戦後、鉱山のダイナマイト庫として
使われたというエピソードが残っています。

きちんと塞がれていますが 内部を覗く事はできます。
鉄柵の間からデジカメを突っ込んでフラッシュを炊いての撮影です。

うろうろしているうちに整備されている観光坑道に辿り着きました。
『柵原坑』です。毎月一回、第一日曜日に坑道農業見学日として
坑内を見学できる事ができるそうです。

この写真では小さいのでまったく解りませんが右の看板に坑道内を現在
どのように使用しているのかの説明があります。一部は稼動しており、一部は
ラン等の温度管理が大切な植物や、野菜の栽培場となっているそうです。
中竜鉱山同様、坑道利用にはウドが目立ちます。


鉱水処理施設です。
現在はぴかぴかのタンクが新しくつけられて様子が
すっかり変わっているそうです。