多田鉱山見学 その3


少し視界が開けたときに「日本鉱業事務所跡」の史跡表示を発見!
どこにあるのかと見渡します。


....。
土台だけでした。


土台だけの寂しい遺構の横には丁寧な説明板が。

日本鉱業多田鉱山事務所跡

 昭和41年4月より月産粗鉱量400tの生産開始。
昭和42年には月産粗鉱量1000tの生産を開始しましたが、
京都の河盛鉱山(日本鉱業)の鉱量枯渇による閉山に伴い
多田鉱業所となりました。
 しかし多田鉱山も鉱量枯渇により昭和48年6月にはついに
閉山となりました。
 昭和47年10月の鉱山事務所の陣容は、坑内25名、坑外14名
の計39名でした。記録によると鉱石は選考上で精鉱とずり(廃石)
に仕分けられ一部は河盛鉱山(京都府)に輸送されていました。

と、書かれています。
その横には当事の設備の写真と地図がありました。

 


こんなに広いのに閉山前にはわずか39名で運営していたわけです。
機械の力って本当にすごいです。