面谷鉱山見学 その6
3000人もの住人がいた形跡はこの石垣の連続でしか、もう
掴み取る事は出来ません。
山壁にはずっとずっと高い場所まで石垣があります。
いくつもの段になって、その段には家がびっしりと並んでしたのでしょう。
和泉村の役場に行って、面谷鉱山に関する資料が無いか問い合わせた所、
ハイキング地図と「和泉村史」のコピーを取らせていただけました。
同村内では最近まで稼動していた中竜鉱山もやはりメジャーですが
こちらは村の重要な観光資源である『アドベンチャーランド中竜』として
生まれ変わっています。面谷は村の歴史においては最も古く、縁のある
鉱山として、村史にも、数多く登場していました。
撮影時期は大正時代ということしか解らないのですが、村史には当時の
面谷の鉱山施設の写真も掲載されていました。

この古い写真は三菱金属鉱業株式会社の所有するもので、「和泉村史」
編纂に辺り、提供された写真だということです。

山間に建てられた大きな施設。それは礎石と土台こそ石でしたが
建物は木造でした。
建物に使われた資材は土に還りました。
80年以上の月日で残ったのはカラミと石垣、カラミ煉瓦と捨てられた山。
でもあの石碑を建てた人のように、この地を今も思っている人が居ます。
この山がもたらしたかつての栄光を知る人は本当に少なくなっているのでしょう。
緑が自然の力で戻るのはいつになるのでしょう。
銅の精錬所があった犬島でもつい最近まで大きな樹は生えていませんでした。
人が何もしなくても植物は進出してきます。
この地に又、緑が生い茂るのはどのくらい山が崩れてからなのでしょうか。
この地に緑が生い茂る頃..。
その時には人と暮らしを豊かにする代わりに山を痛めつけてしまった精錬所の
遺構も土砂に埋まり、跡形も無くなっているのかもしれません。