小串鉱山見学 その15

回旋塔をみて満足したときに風の音しかしなかった場所に
犬の鳴き声が遠く響きました。

猟犬だと直感しました。

猪猟があるようなところでなし
鹿を撃ちに来たハンターだろうか?
どう考えても危険すぎる立ち入り禁止場所に
こんな悪天候の日に人がいると思わなくて
間違えて撃たれたらどうしよう! ←考えすぎの極み

犬の声を耳にしながら慌てて引き返します。

そして予想通り全く登れない土山。
いくら足を進めても崩れるばかりで上に上がれません(涙)。

本気で心配になってきましたが登らないとおうちに帰れません。
場所をずっと山よりに移動して何とか登りきったときには
もう足ががくがくで膝が笑って止まりませんでした。

土山登攀にたっぷり30分はかかったと思います。


へとへとになりながら御地蔵堂に戻ってきました。
だいぶ雨にも打たれています。


立派な石碑と整備された御地蔵堂周辺。
ここまでは誰でも来ることができますが
なぜか入り口に立ち入り禁止ロープが張ってあったのは
車で侵入しようとする人がいるせいでしょう。
ハイキング道と考えれば特に問題はありません。


御地蔵堂の広場から今から戻るスタート地点方向を見ていて
山肌に大きく崩れた跡を見つけました。

1937年(昭和12年) 11月11日 小串鉱山では大きな土砂災害がありました。
死者164名、行方不明者136名、負傷者28名、倒壊家屋等100戸以上という大災害でした。


この方向から見ると北の山肌に地滑りの跡が生々しく残っています。
しかしここはまだ新しい跡です。


東側の斜面にも地滑りの跡がありました。
こちらがそうなのかもしれません。

いずれにせよここは硫黄の採掘と選鉱と精錬が行われていた場所でした。
硫黄精錬の煙はこの谷間の木々をすっかり枯らしてしまい
荒野のように草の生えない場所ができてしまいました。

雨のたびに土砂が流れ出すようになり
前線の長期停滞や集中豪雨があれば
山肌にしみこんだ水は土砂と一体になり
突然、流れ出します。

そして谷の下にあるのが鉱山町でした。

土石流が谷を駆け下り町を襲い大災害がおきたのです。

1950年(昭和25年)には価格が高騰し、硫黄1tが70000円もするという状態になりました。
硫黄は“黄 色いダイヤ”とよばれ、当時は草津一帯の硫黄鉱山に5000人を越える人々が
集まり、鉱山町は隆盛を極めました。

この小串鉱山は産出量で国内で第三位の鉱山でした。
最盛期には2000人もの人がこの場所に暮らしていて
学校も病院もマーケットも備えた立派な町があったのです。

しかし昭和30年代になると石油から硫黄を取ることが主流になり
国内の硫黄鉱山はどんどん閉山していきました。
1971年(昭和46年)にはこの一帯の全ての硫黄鉱山が廃鉱とな りました。

今はもう何も残っていません。

あの回旋塔も鉄製ですからいつまでもつのかはわかりません。

 

散策に3時間半かけた小串鉱山見学は本当に大変な道のりでした。
でもあの風景を見にもう一回、体調と天気が良いときに行きたいと今でも思います。