河守鉱山見学 その6


藪の向こうに見える選鉱場のコンクリート。
どうしても辿り着きたい気持で古い道を進みます。

しかし...川が間にあるのです。どこかで向こう岸に渡らないと..。
生い茂る笹と潅木をなぎ払いながら足元の古いコンクリートの
痕跡を頼りに一生懸命進みます。
小雨の日で木々は容赦なく水飛沫を飛ばしてくれます。
全身ぼとぼとです。


藪漕ぎ50メートル。少し開けた場所に出ました。
しかし目の前には橋も無く、あるのは横たわる砂防ダムだけ。
渡るルートがどうしても見つかりません。


目の前の川を渡って藪漕ぎながら斜面を30メートルほど登ったらきっと
この遺構に辿り着けたと思いますが体力的にも技術的にも無理でした。
上からアプローチしようにも、横に新しく作られた道路の土砂がやはり
この遺構にも被さっていて安全に近づける状態では在りません。

折角の遺構は一般の人から完全に隔絶されてしまっているのです。

酒呑童子の里の管理を任されている方は鉱山関係者で当時の状況に
大変詳しいと、現地で出会った方から聞いたのですが、生憎訪れたのが
月曜日で公園内の施設の休館日。その方にもお会いできませんでした。

悔しい気持とへとへとになった足を引きずり、この鉱山の資料を探しに
大江町役場に向かいます。


大江町史の中に往時の選鉱場の写真が在りました。

役場の方にこの遺構に近づく道は無いかと聞きました。
この鉱山を生野銀山のように観光化して整備する計画も無いし
現在、安全に近づけるという道は在りません。
下の砂防ダムからも道は無く、誰も近づけないと思います。
というお返事でした。残念です。


鉱山施設のあった山間の道。
撤去されてしまった施設をここから思い浮かべる事は困難です。
谷の向こうの山には社宅がいっぱいだったという事も想像できません。

独身寮2棟、家族用社宅、診療所、供給所、会館、保育所、理髪店
福利厚生のためのクラブ、映画館...。
最盛期には181世帯765人もの住人がいた鉱山町です。

55年の操業を終えて今はその土地を地元の伝承のテーマパークに
譲り渡した河守鉱山。

多くの鉱山がたどってきた運命をこの鉱山も踏襲しました。
整備された道の土砂が気配をすっかり変えてしまいました。
鉱山が建物もそのままにそこに在り続ける事はやはり困難なのだと
哀しい気持になりながら私は大江町を離れました。