河守鉱山見学 その5

ここで近くにお住まいの方と遭遇しました。

「おはようございます♪」
「おはようございます。」

「こちらの鉱山跡はもう建物の類は全然残っていないんでしょうか?」
「下にあるのが映画館の跡ですよ。」

「この辺りはなんだったんですか。」
「ここから上にずーっと社宅があったんですよ。今はバンガロー村に
なっていますけどね。」

この方はバンガロー村の清掃を委託されている方でした。
鉱山施設で就業されていたわけではなかったのですが
往時の鉱山町のお話を伺う事が出来ました。

「ここは銅山だったと聞いていますが川に下りてもその痕跡が無いですね。
あちこちの銅山跡に行きましたが大抵カラミが見つかるんですよ。
精錬所というのは無かったのですか?」
「精錬所はあの斜面の上にありましたよ。」

             !!!
さっき私が登っていた鳥居の残骸のある斜面をその方が指差します。
ではあの広大な駐車場には精錬所があったのです。
今はホッパーとコンクリートの切れ端のように寂しく小さな遺構しか
残っていないあの場所に精錬所があったとは...。

大規模に稼動し始めたのが昭和になってからの鉱山ですから
技術的に進んで明治、大正時代に稼動していた鉱山のように
カラミがでなかったのかもしれません。


以前は社宅がずっと並んでいたという場所はすっかり整備された
バンガロー村に変身してしまいました。


映画館跡です。
現在は公園整備の関係施設になっています。


映写室への階段でしょうか。
鉱山町が活気に満ちていた頃。
京都府下で一番の銅鉱山だった頃。
山深い土地に訪れた反映の残り香です。


今はこの土砂しか見えない精錬所跡地。
建物が残っていたら..。
公園整備の際に潰してしまった様子ですが
惜しくて仕方ありません。

 
大江山に向かう道の途中にぽつんと現れる観光地案内板。
以前来た時もこの道標でここに鉱山があることを知ったのですが
この道標が示す先は精錬所の跡地ではなく、選鉱場と貯鉱場の
跡地なのです。