紀州鉱山見学 その2

資料館から道をはさんで反対側に空襲の後の工場にも似たシルエットが
そびえています。トラックが往来していたであろう選鉱場前の広場には、町の老人
ホームが出来ています。広場の西側の山腹を覆うように遺構が残っています。

(この日は雨だったので後日再訪したときの写真を載せることにします)


ちょっと斜めになっていますが杖を突きながらだったので。
それにしても写真下手なので奥行きが全然出ません。精進せねば。
選鉱場は真東を向いて立っていますので朝来ると正面からの日差しで
どうしても白っぽく見えます。

 
こちらは夕方撮った物です。夕日は選鉱場の向こう側へ落ちていきます。
迫力があるのはこの時間帯だと思います。この写真を撮ったのは15時を
過ぎていたと思います。


選鉱場の南側すぐに口を開けているトロッコの軌道です。中には入れません。
足元は草生して低温多湿。大変涼しく気持ちいいです。

 
選鉱場第一層上にはどこからやってきたのかシランがいっぱい咲いていました。
アルビノもあって吃驚です。この選鉱場はシランの栽培場になっています。

 


三層目です。逆光の中、巨大な柱の中を歩きます。コンクリートしか残っていません。
閉山からの歴史を考えると(昭和53年閉山)骨組みしか残っていないのが不思議です。
鉱山資料館の学芸員の方に聞くと、骨組み以外はきちんと撤去したのだという事です。
あちこちの鉱山で予算不足から危険個所をそのまま放置している所も多いですが
紀和町ではこの史跡を観光に使えるようにするために整備したという事なのでしょう。


上に上がっていくと坑道が残っていますが崩れた木材がふかふかのベッドのように
重なって朽ちているために不用意に足を進めると、落とし穴状態に至ります。
中にはコンクリートの成分が鉱水に溶け出して出来たツララのような結晶がいっぱい
あります。臭いはあまり強くないですがやはり軽い刺激臭です。


で、本来のお目当ての辰砂なのですが、実際、こちらの鉱山では水銀を採っていた
訳ではなく主に黄銅鉱を産出していたので心当たりがないといわれました。
奈良県内に多くある水銀鉱山と間違っているのでは?といわれ、がっくりです。
少なくとも近年は採掘していなかったという事でしょう。とにかく歴史が古い鉱山
ですから....。
辰砂にはお目にかかる事ができませんでしたがきらきら光るとても綺麗な黄銅鉱を
お土産に買いました。