生野鉱山 町並み 見学 その13
他に何か残っていないかとOAPを散策。

OAPタワーと帝国ホテルの間の通路。
鋳鉄橋と木造トラスのイメージが復元されています。

通路中央にある桜広場の横にファサードのレプリカ。
これは精錬所の建物の復元壁です。
生野事業所内の旧混汞所(こんこうしょ)や金香瀬坑は
現場で技術指導に来ていた外国人技師がフランス人、コァニェだったので
煉瓦積みもフランス積みでしたが、大阪精錬所の建物はイギリス積みです。
お隣にある重要文化財・泉布観も煉瓦積みはイギリス式です。
造幣局の建物や線布観のデザインを手がけたのは
イギリス人、ウォートルスだからなのかと思います。

天井の梁や円形のライトなどにイメージの復元がなされています。
精錬所を知らない人にも普通に綺麗なデザインとして見えるでしょう。

敷地内に点在する街灯はいずれもガス灯風。
これは造幣局の鋳造や精錬の過程で発生するガスを
そのまま燃料にして活用しようという発想から
当時ガス灯が盛んに使われた事に由来していると思われます。
勿論今は電気ですが。

OAPタワーの正面入り口方向に出てきました。
ここにドキッとするようなものがあります。

精錬された金属が運搬しやすいように
上にちょっと取っ手が出た形で固められているこの大きな板。
これはアノードと呼ばれています。
書かれている内容はというと・・
旧精錬所正門の門柱
大阪アメニティパークは、旧三菱金属大阪精錬所の跡地を活用した開発です。
当精錬所は、明治24年、宮内庁御料局生野支庁付属大阪精錬所として発足し、
明治29年、三菱合資会社が払下げを受け、平成元年に至る迄、約百年に亘って
金、銀、銅等の非鉄金属の精錬を中心に操業を続けてきました。
この門柱は、明治時代に精錬所が建設された当時から、開発が始まるまで
正門として立ち続けていたものです。
尚、この説明に使われている銅板は、銅精錬の過程で溶鉱炉から出た銅を型に
流し込み、電解陽極板(アノード)用に鋳造したものです。
平成8年1月
アノードは敷地内にもう一箇所、川側の彫刻の小径というところにも展示されています。

OAP正面側にもこのとおり門柱が立っているのです。
しかし正門の門柱という事ならなぜ4本あるのか不思議なので
OAPタワーの管理室に押しかけて(←どう見ても不審者)聞いたところによると
川側に立っているのが本物でこちら側に立っているのはレプリカということでした。

正面入り口側から見上げる帝国ホテル。
近代的な建築の前に精錬所の面影はありません。

生野から来た非鉄金属の精錬を行っていた大阪精錬所
生野で続けられている錫の精錬
建物はどんどんなくなっていますがその歴史を知って
見ていくと、兵庫県から大阪まで続いていた鉱石の道を感じる事ができます。
閉山の後、多くの人が生野を離れました。
生野まちづくり工房・井筒屋でこんなお話を聞きました。
「先日、お墓参りに帰ってこられた方が立ち寄ってくださったんです」
「ここに帰ってきてお墓参りをしても立ち寄るところが無くいつもすぐに帰っていたのだそうです」
「見知った方も皆生野を離れているし自分が暮らしていた社宅もありません」
「でもここが出来たから立ち寄る場所が出来てよかったと仰ってくださったんですよ」
鉱山町で暮らしていた人
鉱山町から離れた人
鉱山町に今も住む人
懐かしさを共有できる場所が出来ました。
明延鉱山を知る人
神子畑選鉱場を知る人
生野鉱山を知る人
大阪精錬所を知る人
そしてそれらを知らないけれど知りたいと思っている人
そんな人の気持ちをつなぐ場所が出来たら本当に素敵な事です。
鉱石の道 錫の来た道 銀の馬車道
たくさんの方に訪れてほしいと思いました。