生野鉱山 町並み 見学 その1

兵庫県の生野鉱山は
『佐渡の金・生野の銀』として有名な
国内でも有数の銀の産出地でした。

生野鉱山は生野銀山と呼ばれる事の方が多いようです。

昭和48年に採掘を終了し閉山しました。

同町内にある三菱マテリアル生野事業所は現在も国内で唯一の錫精錬を行っています。


生野町中心街の地図です。

鉱山町の名残があちこちに残っています。

神子畑選鉱場がまだ大屋根を残していた頃にも
生野の町並みを見てきてくださいと現地で声を聞きました。

産業遺構の建物単体に注目してその建物の役割を見た後に
周辺の散策で建物の歴史を勉強するというやり方はしてきましたが
生野では何度も訪れているのにそれをしていませんでした。

何故そういう意識がわいてこなかったのかと自分でも不思議で
生野の写真を見かえしていると気づく事がありました。

生野の町には三菱マテリアルの精錬所が残っていますが
現役稼働中で見学ができない事。
往時の建物の中で明らかにランドマークになりそうなものが
街中に残されていない事。
そして街中にパーキングが見当たらずに街中を過ぎて
一番奥にある史跡・生野銀山まで行ってしまったために
いくつも気になる建物はあるのに街中を見逃していたのでした。

柵原鉱山では街中にまだ立坑櫓が残されています。
日立鉱山でも大煙突が折れて1/3の高さになってしまったとはいえ立っています。
別子銅山には発電所が道からよく見えるところに残されています。
足尾銅山は建物が風雪に耐えながらもまだ残っています。


生野はというと閉山が早かった事もあり生野鉱山を象徴する美しいマークは
史跡・生野銀山に移築されています。


官営鉱山であった頃の栄光を今に伝えてくれるこの門柱。
とても大きなものです。
門柱には菊の御紋が入っています。


説明板が傍らに立てられています。


生野鉱山の一番のシンボルなのですが
ランドマークというには小さく、ここまで来ないと目にする事ができません。

町並みに鉱山の気配を漂わせるものが散在しているのですが
車の移動ではなく町を歩かなくてはそれらをよく見る事ができません。

 

生野を歩いてみよう。

と、2006年の秋から何度か生野を訪れてみました。