日立鉱山見学 その1

日本の鉱業を支えてきた企業。
古河、住友、三菱、三井、藤田、日立。
財閥の歴史追うことは鉱山を巡る事と重なります。

茨城県日立市。
ここには日立の誇る鉱山の歴史が遺構として残っていると聞きました。
足尾に行くのもやっとこさの自分ですが産業遺構の資料を見ているうちに
どうしても日立の大煙突を見てみたくなりました。

日立鉱山の象徴といえる大煙突。
平成5年に突然倒壊したという煙突です。


奈良から名阪国道を通って名古屋で乗り継ぎ、苦手な東名高速と
何がどこに繋がっているのか判らない首都高速と常磐自動車道を
運だけで走りついで明け方に日立市に入りました。

年寄りの冷や水とはこのことです。行く度に“もうこんなことするもんか”と
思うのですが半月とその誓いが守られた事がありません。
多分、走らないと死んじゃう人種なのでしょう。


へろへろになりながらも地図を頼りに山のほうへと進みます。
突然視界にズリ山の斜面と煙突が飛び込んできました。


日立鉱山の煙道です!
現役稼動の工場の敷地にそびえています!
ここは大雄院という場所です。
“大雄院の精錬所”は日立鉱山にとって、最も重要な場所として
史料に何度も名前が出てくるのです。

この写真では見えないのですが、明治44年にここ、大雄院から
神峰山という山に向けて全長2kmの煙道が建設されました。
神峰煙道という物です。山肌を走るその様子から別名:百足煙道と呼ばれました。
煙道には排煙の為の孔が開けられ、煙を分散する目的で作られた物でしたが
広範囲に、煙害を広げるという逆効果が得られてしまいました。

次にとられた対策は国の命令で作られたダルマ煙突です。
この写真の中央の寸詰まりのぶっとい煙突がそうです。
大正2年に完成しました。高さ36m、口径18mという比率の当時の学者が
頑張って設計した物で、基部に送風孔と送風機を13個つけて、煙を希釈する
という発想の物だったのですが、落成式に関係者が列席する中、稼動するや否や
送風孔から煙が逆流して列席者を襲い、えらい事になったというエピソードを持ち
本来狙っていた希釈効果も全くなく、精錬所に煙が逆流して作業員が仕事出来ない
事態になるという机上理論のエッセンスの塊のような代物であったらしく
即刻、使用中止になりました。
その為この煙突は“阿呆煙突”と言う名前ももっています。

でもまずは鉱山資料館である『日鉱記念館』とその周辺を
と思っていたので、パスして更に県道を奥へと進みます。


以前建物があったことを思わせる更地と起伏の中に
日鉱記念館の表示を見つけました。
朝一番、出勤の人の姿がやっと増え始める7時30分頃。
記念館の駐車場にはまだ一台の車もありませんでした。


駐車場周囲を見るとコンクリートの遺構があちこちに残っています。
ここにあった昔の建物の姿はちょっと想像できません。


敷地内の地図です。右下の赤い部分が駐車場になっています。