友ヶ島 その1

和歌山県の北部、加太市の沖、に友ヶ島という観光地があります。
古くから大阪近郊のリゾート地としてあった場所です。
昭和24年に瀬戸内海国立公園の一部になりました。

明治21年には全島が陸軍の用地になりました。
地図で友ヶ島の位置を見ていただけたらその意味がわかると思います。
ここは複雑な潮流があり、防衛の要として理想的なのです。
明治30年に要塞と砲台が築かれました。
戦時中は軍の用地ですから一般人は近づくことすら出来ない島でした。

大阪を南北に走る私鉄・南海電鉄の駅には、夏になると友ヶ島を
紹介するポスターが良く貼られていました。
行った事は無かったのですが、駅に行くといつもポスターがあります。
場所も何も知らなくても、名前だけは頭に残っていました。

友ヶ島が海水浴のリゾート地として全盛期をむかえた頃はもう20年
近く昔のようです。夏休みには家族で海に電車で出かけます。
車が一家に2台が当たり前なんていう時世ではありませんでした。

現地の横まで車で乗り付けられないとお客が来ない。
観光地の必須条件が温泉。
遊べる場所を作らないと集客できない。

全国に毎年出来ては消えていくテーマパークや観光地。
元々観光地で無かったような場所に無理やり作られた観光地。
どこに行っても同じような施設と同じような内容。
作られてすぐは客がきても維持できない造成観光地が巷にあふれています。

友ヶ島が不便だったのは本当でしょう。
関西国際空港が出来るまで自家発電だったそうです。
国立公園の一部であるという事で大規模開発も出来ず、観光地として
整備されるには戒めが多かったのも事実でしょう。

友ヶ島はこういったリゾート開発に取り残されてしまった島です。
パークアンドライドの可能な駐車場が加太港の横にあります。
でもその殆どは釣り客が利用している状態です。
離島であるという事と、不便と感じられる事は多くの観光客を失ってしまいました。
島への定期航路を提供していた南海電鉄も赤字を理由に撤退する事に成りました。


加太港です。大波止のすぐ近くに乗り場があります。
これは南海の船ですが、今後は別の会社が運行を引き継ぐ事に成りました。


船は15分足らずで到着します。加太港からは反対側になる野奈浦桟橋。
私が訪れたのは8月上旬。炎天下でした。
海水浴の家族もちらほら居ます。


島の西の端に位置する第二砲台跡です。
ここは立ち入り禁止になっています。でも鉄条網をくぐって、すぐ入れました。