向之倉 訪問記 その5
向之倉の白地図を見ると家屋や土蔵をあわせて13個くらいの
建物があったようですが現在はその半分ほどになっています。

平らな場所をたんぼと思って見ていましたら、建材が
崩れた時の瓦礫とともに低い山になっていました。
この集落内で水田の跡を見つける事は出来ませんでした。

洗濯機が苔むしてもまだ白いその身体を地面に斜めに立てかけていました。
この土地は古くから林業と製炭業で暮らしてきた土地だそうです。
小さな畑ならともかく家族を養うだけの水田は無かったのです。
時代劇で『武士の石高』などというように使われる『石(こく)』は
成人一人が一年食べられるだけの米を『一石』として数える単位です。
一石の米を得るのにも寒い土地と暖かい土地では当然差が出ます。
この地で一石の米を得るために必要な平均的耕作面積が
どのくらいなのかは見当がつきません。
集落は山の中腹の緩斜面。近くに水田を持たず
生活は林業と製炭業で米は買って得ていたのです。
向之倉のある旧芹谷村地内は他の集落に比べても
主食の生産が乏しかったと多賀町史にも記載がありました。
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冬に真っ二つになっていたのを愕然としてみていた土蔵です。
中の様子は変わっていませんでした。

奥まった場所にある家屋は他の家屋と同じ間取りのようでした。

この集落が、突然主を失ったように時を止めていると
いわれる所以がこちらのお宅のこの仏壇です。
大事な過去帳も位牌も置き去りにされているとか。
持ち出す時間も無かったのでしょうか。
持ち出してくれる人も居なかったのでしょうか。
誰も思い出してくれなかったのでしょうか。
後継者を失った過疎の集落。
今は廃集落。
現在の多賀町内でもっとも速く過疎化が進んだ土地が
旧脇ヶ畑村と、ここ、旧芹谷村でした。