向之倉 訪問記  その1

「その場所は、突然、主を失ったように時を止めています」

そう耳にしたのは琵琶湖の東、多賀町にある『向之倉』でした。

雪のちらつく2002年2月上旬、以前から近江カルストの産物である
河内風穴を見るために何度も通っている国道に車を進めました。

向之倉への道で廃校を目にしました。
以前通った時には無かった土砂の山。

ここは多賀町内にいくつかあった多賀小学校の分校のひとつです。
芹谷分校といいます。

小さな校庭は土砂ですっかり覆われていました。
建物が残っているだけに痛々しいのです。

この小学校の入口に創立100周年の記念碑があります。
でもそれはこの分校単体の歴史ではなく多賀小学校の歴史です。
多賀小学校はいくつもの分校を広い範囲に持っていました。

幾度も続いた町村合併。
その度に山の奥地にあった学校、分校は廃止されて
その生徒は近くの別の学校に通う事になります。

旧芹谷村のこの地に学校が出来たのは明治時代だそうです。
火災がおきて再建された歴史もあります。
現在残るこの建物は昭和32年に建てられたものです。

この多賀小学校・芹谷分校は平成5年3月31日に閉校しました。
その時に居た生徒は7人。3クラスしかありませんでした。
数少ない在校生も、拡大された校区の別の小学校に通う事になったそうです。

使われなくなった建物

雪深い土地

建物の崩壊は狼藉者の破壊と相まって加速度的に進むゆえに
10年足らず前にはまだ使われていたという事が信じられない
荒れ果てた姿になっていました。

学校を過ぎて川にかかる橋を渡り
ロングホイールベースの車両がスイッチバックしながら
進まなくてはならないような急勾配の道を山に向けて進みます。

そして行き止まりに数台の車を停める事ができるアスファルトの
広場が出てきます。ここが向之倉です。車の通れる道はここで終わります。

寝雪の白さも、弱い日光の下で目に厳しい物ではありません。

すぐ近くに『県の指定記念物・向之倉の大桂』が在ります。
この広場は丁度、集落の中心に在り、『向之倉の大桂』を見に訪れる
観光客もこの広場を駐車場として使わせてもらっているようです。

車を停めると耳に入るのは
風の音ばかり。

枯れた草を踏みしめ小道を上がります。