東の川 その4


重機で開かれた壁から校舎の裏を見ると真新しいコンクリートの
山壁補修部分が目に飛び込んできました。

校舎自体を撤去しようとしたのではなく、この工事に使用する重機が
この場所に入る為にキャタピラで入り口の階段は表面だけ削られたのでしょう。
そしてここだけ壁が撤去されているのは、山から崩れてきた土砂で
校舎がダメージを受けていたのかどうかは分かりませんが作業の為に
部分的に成されたのではと思われました。


でも、無事な部分が無いまでに割り放題の窓ガラスは、工事とも
土砂崩れや降雨災害とも無関係の悪意の所業です。


入り口の正面には便所がありました。
割られた窓から雨の度、風の度に吹き込む枯葉で
足元はコーティングされています。


教室の方に回ってみると廊下も教室の床も土だらけです。


教室の中から廊下を経て外まで素通しです。
やはり土砂が押し寄せてきて被害を受けた後なのでしょうか。


職員室らしき部屋にあった分電盤につけられていたタグを見ると
『昭和38年2月』の製造刻印がありました。

ここは坂本ダム建設に伴って移築された小学校でした。