東の川 その2

『東の川』へはずっとダム湖畔を眺めながらの道行です。
南から上ればクチスボダムを経て坂本ダム。
北から回り込めば建設中の大滝ダム、大迫ダム、大台ケ原を
過ぎて池原ダム、そして坂本ダムと続きます。

坂本ダムを過ぎて『東の川』への道に入ると、いくつかの廃屋が
原形を留めないほど崩れていました。

ここは水没した集落と聞いています。
ダムの為に沈んだというのなら、ダム建設に伴って付け替えられた道に
沿って建てられ、水没していない家屋は、代替提供された移築家屋である
ということになります。

坂本ダムの堤体が出来たのは昭和37年です。
着工したのが昭和32年。その間に道路の付け替えは行われ
同時に移築も行われたと考えるのが普通です。

トタン葺きの家屋。
水没前の『東の川』地区で標準的だった家屋です。
資料によると、この地区に在った家屋の多くの屋根は
石置きかトタンだったということです。


さらに進むと忽然と建物が現れました。
東の川小学校です。

この小学校を見た時、頭の中に疑問符が飛び交いました。
ダムに沈んだ小学校がここに建替えられたはずです。
でも肝心の集落内の人家がダム建設後に数軒しか残っていないのです。
その数軒にすべて小学生が居たのでしょうか。
居たとしたら何人なのでしょうか。

ここから同村内にある上北山小学校までの距離はなんと28kmです。
確かに通うにはあまりにも遠いです。


校庭と道路を区切るのは錆付いたフェンス一枚。
残っていた遊具はこのジャングルジム付属の滑り台ひとつだけです。

校庭はここで方向転換しているであろう車の轍で
畑の土のように柔らかくこね回されてふかふかでした。


いろいろな学校行事の為の用具入れだったのか
校庭の端に倉庫らしき建物がひとつあります。


校舎への階段は異様に表面が痛んでいました。
土砂が崩れてきたにしては様子が変です。
山から階段は建物で遮られているからです。
階段の横のコンクリートにはそんなにダメージが
ないので余計に変なのです。