東の川 その1

人がその土地を捨てたのはダムのせいですか

人が捨てた土地にその学び舎はなぜ建っているのですか

人が良い暮らしを求めることは罪ですか

原生林は人のせいで失われたのではないのですか

人が生きる事はいつも自然を殺す事で成り立ってきたのではないですか

奈良県の南の端、三重県との県境にある上北山村。
ここは年間降雨量、日本一の大台ケ原の南に位置する村です。

豊富な水と険しい峡谷。
国策として電力開発が進められていた昭和30年代に
この村にダム建設の話が持ち上がりました。

電源開発・坂本ダムです。

坂本ダムは大台ケ原から南に流れる東ノ川の下流を堰き止め
水力発電の為の水を確保するダムです。

このダム湖に沈んだ地区が『東の川』です。


『東の川』は峡谷を形成した東ノ川沿いに出来た集落群でした。

『東の川』にあった集落は以下の通りですが住所は様々でした。
上北山村の「白川」「河合」「小橡」「西原」が飛び地状に、いくつも
東ノ川沿いに土地をもっていた為に分属しています。

大塚 (大字白川 大塚)
坂本 (大字河合 坂本・大字小橡 坂本)
出合 (大字白川 出合・大字小橡 出合・大字河合 出合)
古川 (大字白川 古川・大字河合 古川)
宮ノ平 (大字小橡 宮ノ平・大字西原 宮ノ平)
五味 (大字小橡 五味)
出口 (大字小橡 出口・大字西原 出口)
木組 (大字西原)

大字河合

大字小橡

大字西原

大字白川

沢筋を超える毎に住所が変わるという実に変わった場所です。
山林を所有していた地権者の関係でこうなったのかと思われます。
坂本ダムに沈んだ坂本〜木組までの付け替えられた道路の距離を
測って見ると約8.5kmでした。
ダムが出来る前もほぼ、距離は変わらないかと思います。

『東の川』という住所はなかったのですが地形的な理由で
ひとつの行政区として他の大字と同じ扱いをされていたそうです。