足尾銅山見学 その5

車に戻って一休みしながら地図を見ます。国道122号をあがっていけば
精錬所が見られます。その先には「銅親水公園」というものがあるようです。


秋の交通安全週間の旗がたなびく国道は渡良瀬川と、煙害で木を失った
山の間に挟まれています。植樹が進められているのですが、木が育つ頃
には土砂と高さを今よりずっと失っているかもしれません。


渡良瀬川の向こうに精錬所が見えました。

 
現行の施設です。人の姿が見えました。神岡同様に生きています。

 
煙突が見えました。本山のシンボルは現在これなのでしょうか。


真っ青な秋の空の下、もう煙を出す事もないこの煙突。
往時を知る人はどんな思いで見るのでしょう。
ただの余所者でしかない私には寂しげにしか見えないこの煙突を
憎む人も懐かしむ人も居るはずです。


国道から右手の山肌はまだ荒れ果てています。
こうなってしまった山は植樹が極めて困難です。

滋賀県の田上山がそうです。田上山は琵琶湖の南にあり、奈良時代から
建築材の産地として伐採が進み(宇治川を使う事で奈良・大阪まで木材を
運搬できる便利さで乱伐されたそうです)明治時代に日本で最初の砂防
ダムが出来た場所でもあります。木を失った山は土砂崩れを起こします。
土砂崩れは川を堰き止め氾濫を呼びます。

土砂は雨のときだけでなく日々少しずつ川に流れ、川床を上げて天井川
を作る事になります。川は上流の土砂を流す働きをもっています。景観を
変えない川はありません。人はその土砂と氾濫には苦しめられたくないが
住みやすい土地から離れたくはない。
そして作られるようになったのが砂防というシステムでした。

「松木キャニオン」と名をつけて地元はこれを観光の対象にしようと
していました。

地元がどう考えてこのような名称をつけたのか知りません。
荒廃した山肌はグランドキャニオンのようにコロラド川が作った
人を寄せ付けない自然の荒々しさとはかけ離れています。
人の侵入を許して、人にこの姿にされた事すら従順に受け入れて
崩れるのも仕方ないと、諦めている山にしか見えません。

足尾に来て楽しさより物悲しさを感じていた私ですが、この地名を
聞いた瞬間には頭が瞬間湯沸し器と化して煮え煮えになりました。