足尾銅山見学 その1

三つの川の合流点。山に挟まれた小さな村。
その村はもうこの世にありません。
精錬所の煙が村を消してしまいました。
何もありませんでした。通るのは風ばかり。
静かな陽光の下、巨大な砂防ダムと光る川面。
村が在ったと言われなければ、ここに人の気配はあまりに希薄でした。

銅の精錬所から出る煙は絶え間なく空を遮り続け、日光が届かなくなった土地
から作物は収穫できなくなります。、精錬所は燃料として木々を伐採し、植物の
駆逐された土地の保水力を根こそぎ奪ってしまいました。大雨の度に土砂崩れ
が、そして山火事が頻発するようになりました。

人は村を捨てました。鉱山からお金を受け取って。
そこでそのまま農業で生きていく事はあまりにも過酷だったので。
煙は植物だけでなく人も土地も侵食していきます。
村人が消えたその土地に、鉱山は廃棄物であるカラミ(鉱犀)を捨てました。

日本中が第二次産業を進めていました。富国強兵の時代に小さな村が消えた
事は仕方なかった事でしょうか。鉱山は豊かさの象徴でした。
鉱山が発見されればそこに町がひとつ出来る。
鉱山から鉱石が出なくなれば町は消える。

しかし、昔からあった村が消える事は鉱山町が消える事とは違います。

村の痕跡は何もありません。建物も畑も道も残っていません。
土砂を運ぶダンプカーの為の赤土の道路だけが走っています。。
「カラミ」が捨てられた真っ黒な山腹への道です。。

かつて日本の工業の要となった町でした。
細い道路を川上へと進めば、往時の名残がそこここに見えます。
秋の日差しの下に人の姿もまばらで、家々の間からちらりと見えた老人は
鼻腔カニューラをつけ、傍らに酸素ボンベのキャリーを置いて古ぼけた
パイプ椅子に座っていました。

ここは負の遺産では無いはずです。
人はこの町に集まり、町は栄えました。国の為に頑張った会社。
会社の為に尽力した人々。家族の為に鉱山で働いた人々。
それなのにどうしてこんなに寂しいのでしょう。

人を殺そうとしたわけじゃないのです。村を殺そうとしたわけでもないのです。
山を殺そうとしたわけじゃないのです。でも皆死んでしまいました。

日本で最初の公害認定・足尾鉱毒事件の舞台。
栃木県上都賀郡足尾町。

2001年の夏休み、私は足尾町に立っていました。