明延鉱山 大仙選鉱場 その10

大仙選鉱場の足元にあるインクラインに向かいます。
 


4年前に来た時にはもっと板が残っていたインクラインの終点。
今はレールだけになっています。


インクラインの台車は残っていませんが運転室は残っていました。


運転室でははがれた廃材が隅に寄せてありました。
その上に置かれていたはずれた窓枠にはまだガラスが残っていて
朝霧の中のぼんやりとした空を映し出しています。

 

 


繰り返し拡幅されてきた建物に最後の工事が行われようとしています。
それは建物の補修ではなく撤去の工事です。


昭和8年に改修された選鉱場である事を示すものは
このプレート一枚しか見つけることは出来ませんでした。

 


ここにたくさんの人が集っていた時の事を知る人は
ここで働いていた人の言葉を聞くことは
年を追うごとに難しくなっていきます。

 


明延鉱山のある南谷地区。
鉱山町の賑わいはなくなってしまいました。

「あちこちの鉱山が閉山になって、その度に解雇された人が明延にやってきました」
「北海道から来た人もいたし沖縄から来た人もいましたね」
「明延なら大丈夫だといわれていたんですけどね」

国内の鉱業が採掘から買鉱精錬に転換していった時代に
国内の非鉄金属鉱山では最後まで残るといわれていた明延鉱山。
銅と亜鉛と錫がバランスよく産出されるという特性から
金属価格の変動にも強いと評価を受けていました。

 

閉山通告が出されたのは昭和61年11月7日


鉱石が産出されなくなって閉山したのではありませんでした。
国際錫協定(ITC)による生産調節で価格の暴落を防いでいた時に
ICT非加盟国の輸出が錫の価格を下げてしまいました。

円高が追い討ちをかけ
明延鉱山と神子畑選鉱場と生野の精錬所
錫鉱石で繋がれた道は途絶えてしまったのです。


竪坑の下に眠る鉱脈にはまだ錫の鉱石が残っています。

 

昭和62年3月1日の閉山式からもうすぐ20年

 

記念式典が催されるかもしれないと聞きました。
その時には又ここに来て、ひとつでも多くの
明延鉱山のエピソードを耳にしたいと思っています。