明延東部鉱区の冬  その1

明延鉱山には『1円電車』という物が在りました。
大屋町にある明延鉱山と朝来町にある神子畑選鉱場を結んでいた
鉱石運搬用の軌道です。

明延と神子畑を結んでいたので『明神鉄道』という名称でした。
鉱山で働く人はこの路線を使って通勤していました。
『1円電車』というのは人々が乗車するときに
料金が1円だった事からつけられた愛称です。

鉄道マニアの方々の中では良く知られている事らしいですが
この1円電車というのは昔ブームになったことがあって
本来の鉱石運搬業務に従事する人々の通勤に支障をきたすくらい
人が押し寄せたときも在ったそうです。

車両は明延鉱山に縁の深い周辺の町に残っています。


これは大屋町の明延に展示してある『くろがね号』です。
元々貴賓車だったという車両です。


こんな説明板が設置してありました。


貴賓車とはいえ現代の鉄道とは違ってレール幅が76.2cmの
とても狭い路線の車両ですから中に入ると天井は低いし
椅子にはお尻だけしか納まらないし窮屈というか
ミニチュアな印象です。


くろがね号が展示してある横に明延鉱山の史碑と坑夫の銅像
が最近立ちました。鉱山の歴史を地域振興に役立てようと
大屋町でも色々な整備が進められています。
神子畑のある朝来町では明治ロマン街道計画ということで
神子畑選鉱場の敷地の中を公園のように一部整備し始めています。

でも肝心の鉱山施設は封鎖されて痛んだままです。


明神鉄道には神子畑を出てから明延鉱山のターミナルに着くまでに
ひとつ降車地点がありました。

東部鉱区です。


厳冬期、三が日を過ぎたばかりの東部鉱区にやってきました。


がちがちに凍った根雪。重くてタイヤの抵抗が凄いです。
かすかに残る轍もかなり日数が経ったもので新年一番乗り。
というより、ここに訪れる人はもとよりほとんど居ないのです。